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1月

1月早々、熊本で再び地震が起きた。
和水(なごみ)町で震度6弱、人的被害が出なかったことは幸いだった。
和水町は福岡県と隣節しており、その福岡側に住む友人は
「自分のところでは全く揺れを感じなかったので驚いている」と話していたので、局地的な揺れだったのだろう。
2年前の熊本地震とは全く別の活断層だと言うことだが、
熊本地震が関係していないのかと言うことについては分らないらしい。

地震や火山の災害は時として想像を絶する被害を生むが、
それを単なる悲劇としてではなく、新たな社会創世に向けた好機と捉え動き出したところがある。
北海道で起きた地震で僕の友人が三面六臂の活躍をしたことを以前報告したが、
その彼が、役所に出向することになったと報告を受けた。
被害を受けた中学校の再建、しかも、小中一貫校としての新たな取り組みに関わるというのだ。

当人は幼稚園の園長であり学童クラブの学園長でもあるので、これで幼少中の子どもの育ちを
公教育+放課後と一貫して俯瞰できる教育環境が構想できることになる。
さらに、社会教育施設の建て替えにもかかわることになり、これで生涯教育分野もカバーできる。
そしてもうひとつ、地震を機に立ち上がった災害ボランティアセンターにもかかわり続けるというのだから、
オセロで言えば完全に四隅を押さえたようなものだ。

この町のこうした人材育成の機関(幼児教育、義務教育、生涯学習、ボランティア)を
総まとめにしてプロデュースすることを可能としたのは、まさに地震でガラガラポンされてしまったことがきっかけだ。
これをもし政治の力でやろうとしてもおよそ簡単ではないし、恐らく相当時間がかかる。
その理由は、様々なイデオロギーであったり利害の対立であったり個々の想いの違いであったりする。
それが一瞬にして破壊されてしまったがゆえに、守るものそのものがなくなってしまった。
しかも、多くの町民が同じような目に遭っているがゆえに
皆で何とかしなければ、という思いを持つことがより可能となっている。
反目している暇はないのだ。
同じ方向を向き、乗り越えなければならないのだ。

ピンチはチャンスとは、よく言われることだ。
けれど、それを実現することはたやすいことではない。
なぜなら、それを成すには胆力がいるからだ。
そして、その胆力は、それまでの考え方や生き方に大きく依拠する。
一朝一夕で身につくものではないからだ。
そして、それは「遊び心」と大いに関係している。
不屈という言葉には屈強な精神力を感じるが、そこにはなぜかプロセスへの喜びというニュアンスが感じられない。
どんな事態に出会ってもその中に一抹の希望を見出し、ささいであってもそれに喜びを感じ、大事に育てることができる。
こうした「プロセスを楽しむ力」は、遊ぶことで育てられる。

※管理人の都合で更新が遅れました。申し訳ありません。



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