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1月

2018年01月11日
年が明けた。
あの震災以来、7回目の正月だった。

実は前月、つまり2017年12月だが、この原稿を初めて入れられなかった。
ブログへのアップはぼくの若き友人に頼んでいるのだが、その友人に原稿を送っていなかったのだ。
書き忘れていたわけではない。
原稿は書き、そしていつものようにアップのお願いをするメールに添付して送ったのだが、
写真を一緒に添付したことで容量が大きくなりすぎ、結果的に送っていなかった。
それに気付かないままでこの間を過ごしてしまったというのが事の真相で、
何ともうかつな話で正月早々それに気づきちょっとショックを受けている次第だ。
まぁ、時を取り戻すことはできないので、今回は2回分をアップしてもらうようお願いし気を取り直していきたい。

今日、1月9日付の東京新聞に「11府県が拠点病院未指定」という見出しの記事があった。
読むと、原発の事故で被ばくした患者を受け入れる「原子力災害拠点病院」の指定を国が義務付けているのだが、
それが指定されていない自治体が11府県あるという内容だった。
その理由がなかなかうける。
「被ばく患者を受け入れる風評被害の恐れ」
「ほかの患者に敬遠されないか」
「院内の設備に放射性物質が付着しないか不安」
HIV患者とは話しただけでエイズが移る、そのくらいバカげた理由で医療関係者が躊躇している?
そんな非科学的な偏見は率先して払しょくするべき立場にあるだろう医療機関が?

原子力規制委員会が再稼働条件をクリアしたとした柏崎刈羽原発がある新潟県では、
指定のめどさえ立っていないのだとある。
その理由は
「線量測定器や防護服が足りていない」
病院が指定を受けるためには、専門知識を持つ医師、看護師のほか
除染室や内部被ばく測定機器の設置が必要と書かれている。
しかも、事故後は被ばくの恐れのある住民らを原則すべて受け入れることになっているらしい。

こんなこと、一病院の努力で可能なはずがない。
福島第一原発が爆発した後、一体どれだけの人数の町村民が避難したと思っているのだろう。
そのほとんどが「被ばくの恐れ」がある人たちだ。
その全員を受け入れることができる病院はもちろん必要だが、そんなものは一つや二つで済むはずはなく、
恐らく県内の救急病院はすべて指定するくらいでなければならないだろう。
国は、あるいは電力会社はそのための予算をしっかりとっているのだろうか。
原子力規制委員会は、なぜこの指定ができてない地域の原発を再稼働条件が整っているとするのか。
まるで謎だらけだ。
「人災」の火種がここにもあることを教えてもらった。


12月

2018年01月11日
先月、2度も九州に行った。
一度は7月に豪雨に合った福岡県朝倉市。
一度は熊本地震の熊本市。

朝倉は以前遊び場関係の学習会で呼ばれていたが、その豪雨で文字通り流れてしまった。
「必ず呼びます」と言われてはいたが、まさかこんなに早くとは思ってもいなかった。
被災後の始末が大変な中、何というバイタリティなのだろう!

朝倉では豪雨被災の翌8月、熊本から「おもしろかー」を1カ月借り、何度か出前遊び場を開いた。
もともと遊び場づくりをしようと考えていた地元の方々がぼくを呼んでいたわけだが、
そのことを「かえっていい機会ができた」と前向きにとらえていた。

被災した地域に、今回も連れて行ってもらった。
前回土砂で埋まって立ち入りができなかった道路が、「えっ?!」と思うほど片付いていた。
あの土砂はどこに消えたのだろう。
しかし、さらに奥に進むと光景はガラッと変わった。
その道がどこから土砂の上になったのかはわからなかったが、新しい道は確かに土砂の上に築かれていた。
隣にある家の2階の屋根の軒と同じ高さにその道はあり、家が掘り出されたことが分かった。
アルバムに写真を載せています

川の流れも変わったという。
山々を見上げると、いたるところに土砂崩れの爪跡がくっきりと残っていた。
表には出さないけれど、それは災害に遭った子ども、大人の心と同じなのかもしれないという思いが、ふと心をよぎった。

熊本へ行ったのは、おもしろかーの活動もさることながら、
東日本大震災後に走ったあそぼっかーに乗った須永力氏にも来てもらい、
東北での様子の移り変わり、それに伴うプレーカーの役割の変遷等の情報交換を行い、
今後熊本でも起きる可能性がある課題に対し、どう準備したらいいのかの学習会を開くためだった。
おもしろかーが毎月出前に行く県内最大という仮設に同行し、実際の活動にも参加させてもらった。
顔見知りの子どもが何人も来てスタッフと会話を交わしていた。
その晩にあったシンポジウムで「遊びの力」を講演し、パネルディスカッションを行った。
その日の晩の飲み会は、みんなの想いを確かめ合える、とてもおいしいお酒だった。
翌日の学習会では、被災があるなしにかかわらない本質的な話ができ、そこでも互いの想いを深く共有することができた。
ただ、それは同時に、現実に横たわる子どもの自由な遊びを阻害する大きな課題を確認することでもあった。

ただ「友達と遊びたい」という子どもの想い。
そんな簡単なことが、今のこの社会ではとてつもなく難しい。