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3月

2013年03月04日
ここのところ、メディアの「東日本大震災」関連の番組が増えているように感じる。
そう、今月11日は、被災から2年目となるからだろう。
被災地に入ってそのときを迎えたいと思っていたが、それは叶わなかった。
この11日には、また羽根木プレーパークに行って「ふるさと」を歌おうと思う。

阪神淡路大震災の時もそうだったが、
町の復旧が進むと、それで復興が終わったかのように思われる。
しかし、暮らしはそれほど簡単に復興しない。
それどころではない。
あそびーばーがある本吉では、海岸線に巨大な堤防を作るのだという。
その高さ、9,8メートル。
更に被害が大きかった大島は、11,8メートルの高さになるという。
ビル4階の高さだ。
この話はずいぶん前に政府から示され、地元では喧々囂々の議論がなされたという。
高台に逃げるルートの整備を、そうした住民の意見が強かったのに時間切れで強行された。
新幹線並みのスピードで押し寄せる水の塊だ。
人工の堤防では歯が立たないことは、すでに実証済みだというのに。

あそびーばーのある本吉には、大谷海岸という日本で駅から最も近い海岸があった。
幅1,5キロ、奥行き50メートルほどの、白砂のきれいな海岸だった。
大谷海岸駅のホームから10段くらいの石段を降りると、その浜に降りることができた。
それが、海岸ごと津波で持っていかれてしまった。
今は、その石段を波が洗っている。
地盤沈下もあるだろうが、水の塊の威力に息を呑む。
とはいえ、日々の海は凪ぎ、多くの地元の人にとってはやはり大きな心の支えの場所だ。
その海岸が見えなくなってしまうのだ。
堤防が出来たら、地元の人は取り返しが付かない思いにとらわれるのではないかと心配だ。
そこに、ふるさとの原風景は、おそらくない。

町の復興は迅速にといわれる。
しかし、スピードだけを追及したら、人々の思いは軽く扱われてしまう。
心の復興は、暮らしそのものに根ざすのだ。
そこには家庭があり、仕事があり、地域があり、思いがあり、何より希望が必要だ。

そう考え、原発の被災地域を改めて思う。
現首相は、原発の再稼動を明言した。
彼には、「美しい日本」は見えていない。