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3月

2017年03月11日
「なにこれ」「なんなんだよ」「はぁ?」「なんだこれ」「おわった」・・・・・
5分にわたる映像には、この言葉だけが繰り返されていた。
その映像には、津波がみるみるカサを増し、次々と全てを呑み込んでいくさまが映されていた。

今月の11日で6年目を迎える、東日本大震災。
ネットで改めて検索をかけると、膨大な数のビデオがあった。
それを3時間ほど見た。
津波の激しさを印象付けるためか、迫力のある音楽が付けられ
きちんと編集されたものも多かった。
けれど、海が押し寄せるゴウゴウという音に混ざる
ガリッバギバギという津波のリアルな音。
「上がってー!」「早く―!」「うあーっ!」「地獄だ…」、
人々の悲鳴や叫び、言葉にならないため息。
ホームビデオのその映像は撮っている人の現実の心を映し出し、
見ている側の心も思わず固まる。
6年前、こんな現実があった。それを改めて突き付けられた。

6年前の自分の気持ちを、ゆっくりと思い返す。
阪神淡路大震災の時に感じた揺れと同質のものを感じ、すぐにテレビを見たこと。
襲い来る津波をヘリが上空から追い、
そのまま空港を飲み込んでいったそのシーンは、
そのすぐ北の海岸公園で冒険遊び場づくりをしていたぼくの友人の安否を不安にさせた。
すぐ連絡を取ったが、つかない焦りと不安。
3日後にその彼が連絡をくれ、
「自分は大丈夫。子どもに遊びが大事だって、天野さん全国に伝えて!」と叫ばれた衝撃。
その晩、ぼくの知り合いの共同通信の記者に伝え、一晩で書いた記事。(2017/3ブログより 共同通信記事
原発の衝撃もすさまじかった。
遊び場づくりに現地に向かおうにも、福島を通らなければならない。
初めて現地に入った4月3日。

海に向かう道を走っていたら、突然開けた視界に飛び込んだ壊滅した町。
テレビで見る者とそれは、まったく風景を異にしていたこと。
さまざまなことがよみがえってきた。

HKKも3月11日を控え、また震災関係の番組がちらほら放送している。
その中で、気仙沼に住む青年が話していた。
ボランティアで来ていた若者が、
気仙沼の良さをたくさん感じて福井から移住してきたのだという。
絶望的だった状況から、その若者が救ってくれたと。
「自分がここに存在することの意味を、外から来た人たちが教えてくれた」。

阪神淡路大震災で神戸市長田区に遊び場をつくったとき、
折れそうになる心を救ってくれた言葉がある。
地元鷹取教会の神田神父が言った言葉だ。
「復興は、元に戻すことをいうわけではない。
震災があり、これだけ世界中から英知が集まっている。
これを私たちは頂き、まったく別の永田を生みなおすのだ。」

生まれ直す東北、その道はまだ半ばだ。


2月

2017年03月11日
熊本地震の後、プレーカー(命名:おもしろかー)を贈ったということは昨年9月に報告した。
その送り先の方が、つい先日の益城町のようすを写真で送ってくださった。
その写真を見て、少なからぬショックを受けた。
10カ月がたつというのに、まだ、瓦礫が手つかずなのだ。
送ってくださった方は「片付いたところもあるが多くはまだ手がついていない」のだと言う。

この町に住んでいた多くの方が、この町の中で避難所暮らしを行っている。
いつまでもこの光景を目にせざるを得ない状況が続いていることになる。
大切な家族との思い出が、あの瓦礫の中にぎっしりと詰まっている。
無数とも思える余震は今年になっても衰えず、震度3以上の地震がすでに7回も起きている。
震災後の、記録的な集中豪雨もあった。
なんとか取り出したくても、もうどうにもならない想いもあるだろう。
その気持ちはどんなものなのだろうかと思うと、写真を見ながら本当に切なさがこみ上げる。

けれどそんな中、おもしろかーで行った先での光景をこう報告してくれた。

「~(前略)~ようやく、午後になって雨がやみ、集会所の外で遊具を広げると、
前回も来たという子(小学3~4年?)が、すぐに来て、大声で
「おもしろかーが来ましたよ~、みんなきてくださ~い!」と宣伝してくれるほどでした。
就学前の兄弟も遊びに来ましたが、すこしストレスが溜まっているようで、
破壊的な遊びを好んでいるようにも見受けられ、一緒に行ったスタッフと
「サンドバッグとか持ってきて、好きなだけ叩いたり蹴ったりできるようにするのも
いいかもね」と話していました。~(後略)~」

ちょっと、感動だった。
子どもが自分から宣伝に走ってくれるということは、本当に歓迎しているという証だからだ。
弾む気持ち、みんなと遊びたいという喜び。
おもしろかーが現れたときのその子の気持ちが、色とメロディを伴って見えるようだ。
スタッフの心意気が素晴らしい。
ストレスが溜まっていると感じるや、サンドバッグを持ってくるのもいいかも、と思いいたる。
かなり乱暴そうなシーンがあったと見受けられるが、それを「ダメなこと」としてではなく、
しっかり発散させてあげたいという受け止めがごく自然に行われている。
「この人たちの手に、おもしろかーが渡ってよかった!」
本当にそう感じた。

子どもにとって最大の環境は、実は大人だ。
その大人の受け止めが柔らかいことが、子どもの心のケアを一層促進させる。
プレーカーは、実はそのコミュニケーションを促すツールであるだけなのかもしれない。