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1月

2021年01月14日
2021年を迎えた。
東日本大震災、巨大津波、原発爆発事故、これらからちょうど10年を迎える年でもある。
10年ひと昔というが、今のこの状況はだれも予想しなかったろう。
通常なら10年を迎えるこの年にはいくつもの特番が組まれ、この10年の振り返りも行われるのだろうが、
今回に関してはなかなかそうもいかないように思う。
「忘れられることが一番怖い」。
幾人もの当事者から聞いた言葉だが、このコロナ禍にあっては、関連する式典自体の開催すら危ぶまれる。
被災した方々の気持ちはいかばかりのものか、察するに余りある。

ところで、前月書いた文に一部不正確な言葉遣いがあった。
「同様に、従来のワクチンも、自然界のものの毒性を弱めたり無害化したものを使っていた。
それが、遺伝子を組み換えたワクチンが開発されているということになる。」
従来のワクチンにも、遺伝子組み換え技術は使われていた。
今、アメリカやイギリスで使われ始めているかつて例がない「mRNA」「DNA」を使ったワクチンは、
組み換えではなく、遺伝子と同じ性質を合成しそれを注入して免疫応答を誘うものだと書くのが正しいようだ。

そして、日本で開発が進むワクチンには前述のタイプのものもあるようだが、
これとは別に、従来の手法を踏襲したものが治験の段階に入っているようだ。
従来の、というのは、ウィルスそのものを弱毒化、あるいは無毒化したものだ。
今年中には実用化し、数千万人分が準備できるのだという。
実用化には確かに後れを取ってはいるが(それでも異例のスピードだ!)、
安全性にかけては今使われているものより確認がされているワクチンとなる予感がある
(とはいえ、従来のワクチンも完全にノーリスクというわけではない。
ワクチンによってこの確率は違うが1000万人に数~数十例、副反応が出ることがあり、中には重篤なものもある)。

これ自体は朗報だが、実は本当に有効なワクチンは作れないのだろうと思っている。
インフルエンザがそうであるように、相手は変異がとても速いタイプのウィルスだ。
あるタイプのコロナに有効なワクチンができても、すぐにそれが効かないタイプに変異する。
そのイタチごっこになっていくのではないだろかと思われる。
だから無駄だ、と言っているのではない。
新型コロナの終息はおそらくない、と腹をくくる必要があると考えているのだ。

事実、イギリスや南アフリカで今猛威を振るい始めている変異種は、
一昨年武漢で発見されていたものと比べ数十カ所もの変異が認められており、元から見ると相当違うのだそうだ。
しかも、この両者はまったく別の変異を繰り返している。
そのスピードは、専門家の予測を超えているようだ。
さらに、いずれも感染力は今のものよりそれなりに強く、
今まではさほど報告がなかった子どもへの感染も高いと報告されている。
現時点ですでにこの両者ともが日本で確認されており、
さらに、日本で変異したと思われるものも報告され始めている。
これは今まで以上の懸念材料ではある。
けれど、変異自体が恐ろしいわけでは、決してない。

ウィルスは、生き物の細胞に取り付いて初めて増殖できるようになる。
つまり、自分が棲む生き物が死んでしまっては、元も子もないわけだ。
なので、自然界では自分が棲む生き物に、ウィルスは悪さをすることなく生き続けている。
棲みかとしている生き物を宿主(しゅくしゅ)と呼ぶが、これがほかの生き物に変わったとき、
ウィルスもどうふるまっていいのかわからないので、もろとも死んでしまう場合がある。
宿主が死んでしまっては、もちろんウィルスだって生き残ることは難しい。
宿主を殺さず自分も生き残るウィルスが、次第にスタンダードになっていく。
つまり、変異を重ねて生き残るということは、最終的には毒性が弱まることになる。
実際、今の自分たちの体にも、数えきれないほどのウィルスや細菌が棲みついている。
空気中にも地中にも、これらは無数に存在しているのだ。
発症しなければ何の問題もない、すごく普通のことだ。
それどころか、細菌の中にはそれがいないと人は生きていかれないものもあるし、
ウィルスはその遺伝子を人が取り込んだおかげでできた進化すらある。
ただ、そこにたどり着くまで、おそらく現代人は待てないのだろうが。

現代は、都市化がすさまじい勢いで進行する時代だ。
「こうすればこうなる」「こうするためにこうする」。
都市化から生まれる思考回路は、因果関係が明らかで人知を超えてはならない。
何でもかんでもエビデンスというのは、その証だろう。
それを超えるものは理解不可能なものとして、恐怖や不安、あるいは嘲笑の対象となる。
なので、都市化は環境自体を理解可能、あるいは目的達成のための人工物で埋め尽くす。
その時の最大の敵は、何が起きるかわからない自然界だということになる。
高尾に猿が出てもだれも騒がないが、六本木に出たら大騒ぎになるのは、
猿ほどの自然は都市には理解不可能だからだ。

だから、人とは言え猿に最も近い子どもは、早いうちにしつけという都市化を強いられる。
そして、自然界にある新型コロナは人知を超えているので不安を掻き立てるが、
科学的知見に裏付けられた人口ワクチンには飛びつく。
その意味で、原子力発電所は都市化の最たるものの一つだといえる。
核物質をこうコントロールすればエネルギーを生める。
こうすればこうなる、の思考回路だ。
その結果がどうなったかは10年前に経験済みのはずなのに、
人は10年程度では本質的な進歩はしないのだろう。
環境から学び変異を繰り返すコロナのほうが、この点においてははるかに柔軟で賢い。

新型コロナウィルスに振り回されている場合ではない。
それを冷静に見つめる上でも、2か月後に控えた「震災から10年」、この間に何を学んだのか、もっと深く思いを至らせることが必要なのではないだろうか。