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6月「ふるさと」

2011年06月11日
震災から3ヶ月目の6月11日の「ふるさと」は、
講演先の「西久保コミュニティセンター」(武蔵野市)で歌うことができた。
第28回子どもまつり実行委員会総会での基調講演のなかで、だった。

子どもに一体大人は何ができるのだろう。
遊び場にいる大人の足場の立て方の難しさや、
大人がいるとできなくなること、
大人がいるからできるようになること、
そんなことを数多くの事例を交えて話していた。

14:30を越える頃、話は阪神淡路大震災のことに至った。
全体が避難所となっていた公園の中に遊び場を立ち上げたこと、
子どもが元気になり公園中を駆け回ることがそこの簡易住宅に住む人の苦痛を呼んでいたこと、
増える避難者に場所がなく遊び場の縮小を何度も求められたこと、
「震災ごっこ」と僕たちが呼ぶ遊びが被災した大人たちの不快感を刺激し激怒までされたこと、
5ヶ月間もの間毎日遊び場を続けたのに
結局それを継いでくれる人を現地に見出せず閉鎖するしかなかったこと、
子どもから遊び場を奪ってしまった「うずき」が今も残っていること、
そんなことを話した。

だから、
今回の気仙沼の遊び場は何とか残せる可能性を探っていることを伝え、「ふるさと」を歌った。
ふるさとの風景を失った人を思い、暮らしを失った人を思い、
大切な人を失った人を思い、何より「忘れない」という決意を確かめ、
3番までの歌詞はすぐに終わってしまった。
一緒に歌ってくれた会場の50人ほどの人たちの中には、涙を流す人もいた。
背景には気仙沼のあそびーばーの風景が映し出されていた。
それを見たら、ぼくも泣きそうになった。

それにしても、悪魔の所業としか思えない原発からの放射能。
ふるさとの風景そのものは残されていても、
おそらく今後数十年に亘ってそこで暮らすことを拒み続ける。
蛇の生殺しとはまさにこの状況をさすのだろう。

なぜ原発は必要なのだろう、
なぜ原発は国策として推進され続けたのだろう、
原発以外ではエネルギーが確保できないというのは本当なのだろうか、
原子力の制御の技術は今一体どの程度なのだろう、
そもそも放射能はいのちにどういう影響を及ぼすのだろう・・・・
よーく考えたら、そのすべてに対する知識が足りていないことに気がついた。
今、いろいろと本を読んでいる。
次第に、原発や核物質はそれまでぼくが考えてきたものよりはるかに恐ろしく、
そのシナリオの結末は全地球の高濃度放射能汚染しかないのではないかと思うようになってきた。
きっと、それはSFではなく。

福島の人は、
都市部に住む僕たちや大企業の利益を支えるエネルギーを供給し続けた結果として、
ふるさとを失った。
東京電力は、この事故を想定していたから、東京には原発を建てなかったのだろう。
あまりにも理不尽だと思う。

今回も、一緒に歌ってくれた人が
きっと全国にいるのかと思うと何だかうれしくなり、勇気がわいてくる。
来月も、必ず歌う!