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8月

2016年08月04日
前月、関係の貧困について触れた。
それを、もう少し深めたい。

「関係」は、人、物、事、全ての環境との間にある。

人であれば、
親、祖父母、親戚、同級生、先輩、後輩、もっと年上年下のお兄さんお姉さん、
隣近所のおじさんおばさん、商店のおじさんおばさん、駅員、役人、警官、消防隊員、
大震災時にとても働いてくれた自衛隊員、お医者さん、看護師さん、
先生、監督、何かの指導員、そして、プレーリーダー、などなど。

物であれば、
生物ならば、ペット、家畜、虫、鳥、動物、植物、細菌、などなど
無生物ならば、お金、家、学校、公園、テレビ、ゲーム機、石、岩、砂、水、などなど。

事であれば、
自然ならば、地震、雷、暴風、大雨、台風、干ばつ、噴火、などなど
人為ならば、行事、事件、政治、経済、公害、戦争、自然破壊、ポケモンGO、などなど。

関係は、自分とのつながりを意識した時から生まれる。
自分とのつながりが意識できないと、「関係ない」と思う。
関係は、持ちたくて持つことばかりではない。
自然、人為にかかわらず災害は、その最たるもののひとつだろう。
一方的に、しかも暴力的に巻き込まれてしまう。
こんな時は、関係をどう理解しコントロールすることができるか、が肝心となる。

関係は、あるかないかで相手に対する扱いがまるで変わってしまう。
自分の孫の歓声はかわいいが、見知らぬ子どもの声はうるさい。
これは関係のある者だけをひいきする場合だが、逆もある。
よその女性にはとても優しいが、妻には暴力をふるう。
支配欲にまみれると、関係は恐ろしいものにもなる。
こんな時は、関係する相手に対し、敬意を持てているかどうかの点検をしなくてはいけない。

関係が、さまざまに織り込まれ自分に収められると、それは「経験」となる。
つまり、関係のないままでの経験はあり得ないことになる。
そして、遊び場には、たくさんの関係がある。
年上の人も年下の子も、おじいちゃんもおばあちゃんも、そして赤ちゃんも。
木も土も火も水も、金づちもナイフもくぎ抜きも、スコップもつるはしも。
基地づくりも穴掘りも、宝さがしもベーゴマ大会も。
すべて自分と関係し、経験となっていく。

現代の子どもの抱える貧困には、経済的なこと以外にこの「関係」と「経験」がある。
そんな現代において、遊び場ほど関係と経験が積めるところはそうあるものではない。
そこで得た力は、逆境を生き抜く本質的な力となる、そう確信している。