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5月

2014年05月09日
4月25日~27日にかけ、久しぶりに気仙沼のあそびーばーに行った。
3年前の2011年4月26日、この日があそびーばーのオープンの日だった。
あれからちょうど3年。
長かったのか、短かったのか。
振り返ると、よく3年続けられたと思う。

「三陸は谷筋ひとつ違うと文化が違う」。
ぼくたちが遊び場づくりに動き出したと知った東北出身者は、異口同音にそう言った。
それは逆に、その土地固有の文化が生きていることを物語っていた。
震災前の東北は、仙台を除いて、冒険遊び場の空白地帯だった。
それにはきっと理由がある、そう思っていた。
その理由と、この文化が関係していたら・・・
そんなところに、果たして受け入れてもらえるのだろうか。
大きな不安を抱えて、現地へおもむいたことを思い出す。
「3ヶ月でいいので遊び場をやらせてください」
最初のお願いでそういったのは、拒否されても3ヶ月なら我慢してくれると思ってのことだった。
しかし、実際は全く逆だった。
「ここに来ると子どもの声が聞こえて元気が出る」
「子どもの声はうれしいねぇ」
そう言って、涙を流して喜んでくれた人がたくさんいた。
そんなことのひとつひとつがぼくたちを励ましてくれた。

とげとげした言葉にひりひりとした友達関係。
震災後の「荒れ」だとは思ったが、そのあまりの痛さにこちらの心が締め付けられる思いだった。
それが子どもの笑顔は確実に増え、その関係は見違えるように穏やかになっていった。
初めは危なっかしくてひやひやした体も、3ヶ月もするとサルのように動くようになった。
これでこの子達はもうけがをしない、その年の暮れには、そう確信するようになった。
そして今回、あの頃小学4年生だった子は、中学生となっていつもどおりにぼくを迎えてくれた。
そう、いつも来ている人を迎えるように。

この「あそびーばー」は、震災後の東北の遊び場モデルともなり、
遊び場の空白地帯だった東北に一気に広がりを見せ始めている。
岩手、宮城、福島。
この3県だけで、その実践の数はいまや40を超えるようになった。
仙台で行われていた震災前からの遊び場の取り組みが4件だったことを思うと、隔世の感だ。
それだけ子どものことを大事にしている地域なのだと、改めて思う。

今でも忘れない、初めて避難所に招いてもらった時の壁新聞に書かれていた最上段のフレーズ。
「子どもは地域の宝です」。
東北から、全国民に向けたメッセージだと、ぼくは捉えなおしたい。


※「アルバム」に写真をアップしました。