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8月

山形の、僕の友人が何気ない会話の中でこう話した。
「その地区で最初にコロナに罹った人が、引っ越しを余儀なくされちゃったんだよね。村八分とかそんなレベルじゃなく、
仕事も当然できないし、結局住み続けることもできなくなって」
一瞬絶句した。
「それ、とんでもない話じゃない! 本当のこと?」
「ほかにも聞くよ。」
お盆の今月、東京に住む身内に「帰ってくるな」という地方からの話は報道でよく聞く。
まさか、コロナに感染しただけでそこに住めなくなるなどということがあるなんて!

こんな状況を、ぼくは新型コロナの感染よりはるかに怖いと感じる。
差別や選別、それがまかり通ってしまう常識が、人の心を闇に引き込んでいく。
いや、差別や選別は、そもそも人の心の中にある。
それを認め、それとしっかり向き合っていないと、人はいとも簡単にその闇に引きずり込まれるのかもしれない。

医療従事者に感謝を!と言いつつ、その家族が学校や職場であからさまに遠ざけられる。
福島で原発事件(あれは事故ではない)に合い、子どもの健康被害を案じる親が引っ越したその先で、
学校で「放射能がうつる」と言われいじめられる。
まるで「菌」や「ウィルス」の扱いだ。
なぜこんなことが起きるのだろう。
おそらく、その根底にあるもののひとつは、「恐怖」とそれからくる「不安」だ。
しかし「恐怖」と「不安」は、全く別物だ。

「恐怖」には、それを引き起こす実態がある。
「不安」には、その実態がない。
つまり上記の話で言えば、コロナウィルスや放射線はその実態、つまり恐怖の対象。
けれど、それが「うつるかもしれない」というのは、これは不安だ。
不安を少しでも軽くしたいのなら、恐怖の対象をしっかり知ることだ。
それさえ正しく理解すれば、不安のもとは確実に軽くすることができる。

人は、知ることができる。
そして、考えることができる。
報道や人が何を言っても、大事なことが何なのかを、人は自らの頭で考えることができる。
その上でわからないことがあれば、人は調べることができる。
よくわからないで、判断に迷うことはあるだろう。
けれど、だからと言って簡単な答えにすがることが何を意味するのか。
それを狙っているのが、心にぽっかり穴をあけた深い闇なのだと、僕は思う。
さぁ、飛び込んでおいで、楽に答えが得られるよ! と。

お盆だ。
戦禍に命を落とした人も大勢いる。
さぁ、遠慮なく故郷に帰っておいで!



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