東日本大震災から9年4か月。
その頃に、一体誰が予想しただろうか。
毎年のように起きる、数十年あるいは100年に一度ともいわれるほどの豪雨と大水害。
今年のまさに今も、九州をはじめ、各地で河川の氾濫、決壊が起き、被害が拡大している。
そして未知のウィルスである新型コロナによる感染症の世界的大流行。
被災地を襲う感染の危険性で、避難所自体、従来通りというわけにはいかなくなっている。
何が起きても、異常ではなくなっていくこの現実。
異常が常識になりそうな、この危険な感覚。
コロナに関しては、社会的には振り回されすぎだという印象がぼくには強い。
ことに、子どもに関してはその「育ち」の観点から語られることはほとんどない。
昨年末に中国で発見されたこのウィルスは、新型でほとんど得体が知れなかった。
けれど、徐々にだがその性質がわかり始めている。
・子どもの感染は大人から子どもが多くを占め、子ども同士の感染は少数例。
・子どもから大人に感染したという報告も、少数例にとどまっている。
・子どもが感染しても、そのほとんどが軽症もしくは無症状で重症者はまれ。
こうした状況があるにもかかわらず、子どもにも大人と同じ規制を守らせようとしている。
具体的には「三密(密閉、密集、密接)」を避けることだ。
子どもは、感覚神経をフルに使って下界を感知し、自分の中に取り込み、そして心を育てる。
そして、その繰り返しの中で感覚神経も発達させていく。
特に「肌感覚」は子どものもう一つの脳ともいわれるくらい、例えば愛着関係を築くのも、
コミュニケーション力を養うのにも、決して欠かすことができない経験となる。
そんな発達途上の子どもにとって「密」は不可欠な要素だ、ということに、社会はあまりに無頓着だ。
それを子どもから奪うのなら、それ相応の理由が必要となる。
例えば、感染した時の重症化の頻度の高さ、さらに言えば死亡率が高い、
そのうえ子ども同士の感染が容易に起きている、などだ。
しかし、既述の通り、子どもの感染には、このウィルスは優しいようだ。
特効薬ができるまで、ワクチンができるまで、それまでの我慢だという人もいる。
けれど、子どもの育ちは驚くほど速い。
おそらく幼児くらいの年齢ならば、1週間の自粛は、大人の1年以上に匹敵するのではないか。
しかも、特効薬もワクチンも、待てば必ずできる保証はない。
RNAウィルスである新型コロナは、その性質上、変異が早い。
インフルエンザウィルスも同じRNAウィルスで、やはり変異が早いため、
すべての型に決定的な特効薬やワクチンは、いまだにない。
インフルエンザ同様、おそらく決定的な特効薬やワクチンはできないのではないだろうか。
それを「できるまでの辛抱」と言っていたら、一体何世代の子どもが育ちの機会を奪われることになってしまうのか。
新型コロナにかかわらず、「温暖化」と「際限ない開発」がこのまま進めば、
未知のウィルスはいくらでも出現すると予言する専門家がいる。
ぼく自身も、そう思うひとりだ。
子どもの育ちを守り、こうした事態を生き抜いていくためにはどうしたらいいのか。
僕自身は、自分の免疫系を高めていくことに尽きると考えている。
免疫には「自然免疫」と「獲得免疫」がある。
前者は親から引き継いだもので、おおざっぱに敵を認識し撃退させる門番のような役割を持つ。
後者はこの世に生まれて以降、その環境から様々な菌やウィルスを取り込み、
より専門的に侵入者に攻撃を仕掛ける力を持った免疫だ。
今の日本は、この獲得免疫が強化されにくい環境に置かれているといえる。
人工的に、きれいにしすぎているからだ。
土のある場所で寝転がり走り回り、草や虫と戯れる。
外で手作りのお弁当をみんなで分け合いながらほおばる。
これだけで獲得免疫は格段に強化される。
子どもの育ちには外遊びが欠かせない理由の、これは大きなひとつだ。
そうした免疫の強化を日ごろからしている(つまり泥にまみれて遊んでいる)保育園からは、
次の報告がいくつも届いてきた。
「周りの保育園がインフルエンザで閉鎖されても自分の園では患者が出ない」
そう、これがまず根本の対策であることを知る必要がある。
そして、そういう子どもは、もちろん罹患しても症状は抑えられる。
菌やウィルスによる感染症は、そもそも致し方ないものだ。
人類だけでなく、生き物が命を授けられた時から感染源とのせめぎあいは始まっているともいえる。
けれど、だから生物は進化もしてきた。
人間はもちろん、生物の遺伝子には、菌やウィルス由来のものが数多く見出されている。
哺乳類の胎盤の遺伝子もウィルス由来であるという事実は、中でも特筆すべき発見だ。
ウィルスに感染したから、哺乳類は生まれた―そう考えられているのだ。
そうであれば、感染自体がいけないというより、重症化しないための方策こそ大事なのだといえる。
それに、もともとの免疫機構さえしっかりしていれば、コロナに罹ることで獲得免疫はまた力を増す。
そして、子ども時代は、それを身につけて行くただなかの時代といえる。
感染を忌避するがゆえに、大人と同様の措置を取り様々な感染症に対して弱っちい体にしてしまうのではなく、
免疫の発達をしっかりと保障してコロナに耐えうる体をつくる。
何が本質的に大事かは、生命の進化の歴史がはっきり語っている、そう僕は思っている。
豪雨被害がこれ以上広がらないよう、心から念じています。
その頃に、一体誰が予想しただろうか。
毎年のように起きる、数十年あるいは100年に一度ともいわれるほどの豪雨と大水害。
今年のまさに今も、九州をはじめ、各地で河川の氾濫、決壊が起き、被害が拡大している。
そして未知のウィルスである新型コロナによる感染症の世界的大流行。
被災地を襲う感染の危険性で、避難所自体、従来通りというわけにはいかなくなっている。
何が起きても、異常ではなくなっていくこの現実。
異常が常識になりそうな、この危険な感覚。
コロナに関しては、社会的には振り回されすぎだという印象がぼくには強い。
ことに、子どもに関してはその「育ち」の観点から語られることはほとんどない。
昨年末に中国で発見されたこのウィルスは、新型でほとんど得体が知れなかった。
けれど、徐々にだがその性質がわかり始めている。
・子どもの感染は大人から子どもが多くを占め、子ども同士の感染は少数例。
・子どもから大人に感染したという報告も、少数例にとどまっている。
・子どもが感染しても、そのほとんどが軽症もしくは無症状で重症者はまれ。
こうした状況があるにもかかわらず、子どもにも大人と同じ規制を守らせようとしている。
具体的には「三密(密閉、密集、密接)」を避けることだ。
子どもは、感覚神経をフルに使って下界を感知し、自分の中に取り込み、そして心を育てる。
そして、その繰り返しの中で感覚神経も発達させていく。
特に「肌感覚」は子どものもう一つの脳ともいわれるくらい、例えば愛着関係を築くのも、
コミュニケーション力を養うのにも、決して欠かすことができない経験となる。
そんな発達途上の子どもにとって「密」は不可欠な要素だ、ということに、社会はあまりに無頓着だ。
それを子どもから奪うのなら、それ相応の理由が必要となる。
例えば、感染した時の重症化の頻度の高さ、さらに言えば死亡率が高い、
そのうえ子ども同士の感染が容易に起きている、などだ。
しかし、既述の通り、子どもの感染には、このウィルスは優しいようだ。
特効薬ができるまで、ワクチンができるまで、それまでの我慢だという人もいる。
けれど、子どもの育ちは驚くほど速い。
おそらく幼児くらいの年齢ならば、1週間の自粛は、大人の1年以上に匹敵するのではないか。
しかも、特効薬もワクチンも、待てば必ずできる保証はない。
RNAウィルスである新型コロナは、その性質上、変異が早い。
インフルエンザウィルスも同じRNAウィルスで、やはり変異が早いため、
すべての型に決定的な特効薬やワクチンは、いまだにない。
インフルエンザ同様、おそらく決定的な特効薬やワクチンはできないのではないだろうか。
それを「できるまでの辛抱」と言っていたら、一体何世代の子どもが育ちの機会を奪われることになってしまうのか。
新型コロナにかかわらず、「温暖化」と「際限ない開発」がこのまま進めば、
未知のウィルスはいくらでも出現すると予言する専門家がいる。
ぼく自身も、そう思うひとりだ。
子どもの育ちを守り、こうした事態を生き抜いていくためにはどうしたらいいのか。
僕自身は、自分の免疫系を高めていくことに尽きると考えている。
免疫には「自然免疫」と「獲得免疫」がある。
前者は親から引き継いだもので、おおざっぱに敵を認識し撃退させる門番のような役割を持つ。
後者はこの世に生まれて以降、その環境から様々な菌やウィルスを取り込み、
より専門的に侵入者に攻撃を仕掛ける力を持った免疫だ。
今の日本は、この獲得免疫が強化されにくい環境に置かれているといえる。
人工的に、きれいにしすぎているからだ。
土のある場所で寝転がり走り回り、草や虫と戯れる。
外で手作りのお弁当をみんなで分け合いながらほおばる。
これだけで獲得免疫は格段に強化される。
子どもの育ちには外遊びが欠かせない理由の、これは大きなひとつだ。
そうした免疫の強化を日ごろからしている(つまり泥にまみれて遊んでいる)保育園からは、
次の報告がいくつも届いてきた。
「周りの保育園がインフルエンザで閉鎖されても自分の園では患者が出ない」
そう、これがまず根本の対策であることを知る必要がある。
そして、そういう子どもは、もちろん罹患しても症状は抑えられる。
菌やウィルスによる感染症は、そもそも致し方ないものだ。
人類だけでなく、生き物が命を授けられた時から感染源とのせめぎあいは始まっているともいえる。
けれど、だから生物は進化もしてきた。
人間はもちろん、生物の遺伝子には、菌やウィルス由来のものが数多く見出されている。
哺乳類の胎盤の遺伝子もウィルス由来であるという事実は、中でも特筆すべき発見だ。
ウィルスに感染したから、哺乳類は生まれた―そう考えられているのだ。
そうであれば、感染自体がいけないというより、重症化しないための方策こそ大事なのだといえる。
それに、もともとの免疫機構さえしっかりしていれば、コロナに罹ることで獲得免疫はまた力を増す。
そして、子ども時代は、それを身につけて行くただなかの時代といえる。
感染を忌避するがゆえに、大人と同様の措置を取り様々な感染症に対して弱っちい体にしてしまうのではなく、
免疫の発達をしっかりと保障してコロナに耐えうる体をつくる。
何が本質的に大事かは、生命の進化の歴史がはっきり語っている、そう僕は思っている。
豪雨被害がこれ以上広がらないよう、心から念じています。
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