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9月

2017年09月10日
9月3日、北朝鮮が水爆実験に成功したとの報道があった。
その時の地震波観測によれば、威力は広島型原爆の10倍、という。
北海道をまたいでの弾道ミサイル実験に続く、無意味な緊張を生み出す行為だと言える。

地域間の紛争、国内の内戦、国同士の戦争、これらに巻き込まれた人達を「被災者」と呼ぶことは呼ぶが…
当然だが、地震や津波、台風や噴火などの自然災害とは違う、人の意思による人災だ。
それを、自然災害で被災した人と同じく「被災者」と呼んでいいものなのだろうか。

通常なら、殺人や暴行などに遭った場合「被害者」と呼ばれる。
「加害者」がいるからだ。
紛争、内戦、戦争は、起こすものが大義を語りはするが、それとは関係ない、あるいはその大儀を支持していない人も多い。
その人たちが巻き込まれた場合、その人たちは明らかに「被害者」で、大儀を語った者たちは加害者とはならないのだろうか。

国家間の戦争に至る場合、加害者の大義はこうだ。
「この国家を守る義務が私にはある。国民を守る義務がある。」
守る?何からだ?
北朝鮮、アメリカ、日本。
今のやり取りを見ている限り、自分の言うことを聞けと言い合っているように見える。
核を持つ国が他国へは持つなと言い、その傘下で安全を守られている国が「お前は持ってはだめだ」という。

憲法は、戦争に向かって暴走する国家権力を縛るために生まれた。
第2次世界大戦という膨大な犠牲(被害者)の基に手にした、血塗られた極上の理性だ。
主権は、国家(権力)にではなく国民にこそあり。
そう明言しているが、その国家権力は今、国家を守るため、国民に義務を課そうとしている。
それが憲法改正の真の狙いだろう。

灘、麻布、筑波大付属など、有名中学で採択した教科書が、反日呼ばわりされている。
従軍慰安婦の記述がある教科書だったからだ。
昔はほとんどの教科書に記述されていたのに、「自虐史観」だとの声に押され、今では記述がある教科書はなくなっていた。
その中でそれを記述した新しい教科書で、それが選ばれたから「反日」なのだという。
第2次世界大戦前の雰囲気が感じられる。

自然災害は、恐らくどんなに科学が発展しても止めることはできない。
けれど、人災である戦争は、止めることができる。
そのためには、生まなくていい被災者に対する「想像力」が必要だ。
想像力は、恐らくは人間にしか持ち合わせていない力なのだろうから。


8月

2017年08月11日
6月7日からの九州北部豪雨。
大きな被害を受けた朝倉市に、7月16日、ぼくはたまたま行くことが決まっていた。
朝倉でプレーパークをつくりたい、と行動を開始した市民から呼ばれていたからだ。
そもそもは、その隣の柳川市から初めに声をかけられたことによる。
柳川にもプレーパークを、という動きがあり、視察を兼ねて呼ばれていた。
だったら朝倉にも来てほしい、と。

柳川市は有明海に面しており、筑後川が海にそそぐ。
その有明海は流木で波打ち際が埋め尽くされていたが、直接の被害はないようだった。
上流に当たる筑後川の支流、その橋げたにこの流木が引っ掛かり、
ダムをつくり、流れをせき止め、そして甚大な被害を生んだ。
朝倉市の中心部は被害を免れていたが、支流を少し上がると風景が一変した。
40センチほどに育った稲を、田んぼごと埋め尽くす大量の土砂。
残った田んぼも、用水路が埋められているので水が引けない。
筑後川の支流とはいっても、グーグルマップで見る限りは名前さえ載っていない細い川だ。
その川と両側を走る道。
その痕跡など全くない、ただただ埋め尽くされた一面の土砂。
(「アルバム」の「2017/8」フォルダに写真があります)
おそらく、数メートルは堆積しているのだろう。
これって、撤去できるのか?無理だろう…?との思いが何度もよぎった。
一面の土砂からところどころに突き出す流木の山。
中には直径が40センチを超えるものすらある。
これらが、あちらこちらで流れをせき止めたのだろう。
その上流は、さらに土砂が高くなっていた。

いつもそうだが、災害の現場はそこに立たないと被害の実態が分からない。
テレビで見ているのだが、その規模は2次元画面ではどうしたって伝わらない。
今回も、愕然とするしかなかった。

けれど、その惨状にあり、今回はひとつ喜ばしい出来事があった。
避難所として使っていた公民館の中に、屋内遊び場ができていたことだ。
臨床心理士たちによるものだという。
公民館自体が日ごろから地域で運営されていたため、
避難所も地域で協力してスムーズに運営できているという。
その中での遊び場なので、子どもたちも安心できるという。
トラウマ体験がさまざまな症状を呼び起こす
PTSD(ポストトラウマチックストレスディスオーダー=心的外傷後ストレス障害)
と呼ばれる症状があるが、逆に、トラウマ体験を得たがゆえに成長することもあり、
これをPTG(ポストトラウマチックグロウス=心的外傷後成長)と呼ぶ。
「この子たちはそうした状況になれるかもしれない」と、臨床心理士は言っていた。
そういう、関係に支えられた避難所に巡り合うことができたのは、
子どもにとって不幸中の幸いだ。

この車を、熊本から朝倉に8月いっぱい貸し出すことがその後決まった。
朝倉の人たちは活気づいた。
ぼくの講演はさすがに中止となり気分的にも落ち込んだと言っていたが、
それでも予定通りぼくは行き、阪神や東日本でのことを話した。
「こんな時だから何とか自分たちも」と思った矢先の貸し出し申し出だった。
柳川の人たちも、できることがあれば協力する!と言い、
同じく福岡県宗像市で遊び場づくりを行うメンバーも、さっそく協力に動き出している。
遊び場づくりという、子どもの最高の笑顔を求めて活動を始めた人たちの、
つながりが繋がりを生んでいく。
こんなにうれしいことはない。

災害は、いつどこで起きるかわからないし、避けることも容易ではない。
この夏も、至るところで土砂災害や浸水災害が起きている。
けれど、そういう場面に出会っても、だからこそ、大人にとってもPTGとするチャンスだ。
今回のことは、改めてそう思わせてくれた。

7月

2017年07月11日
東日本大震災から6年。
その年の10月から被災地を走り続けて14万キロ超(なんと地球3周半!)。
そのあそぼっかーのエンジンが、ついに壊れてしまった。

当時、日本冒険遊び場づくり協会が遊ぶことを通した子どもの心のケアとして、気仙沼に常設の遊び場を展開していた。
けれど、遊び場を必要としている子どもはそこら中にいるのに、
被災地域はあまりに広大で一か所だけではあまりにも心もとなかった。
そんな時、遊び場の活動を知った企業が協力を申し出てくださった。
最初はカードで有名なアメックス、次にナイフで有名なビクトリノックス。
この時とばかり、この二つの企業に、それぞれ遊び道具を満載し
ど派手なペイントを車体に描いた軽のワンボックスカー、プレーカーの配車を提案した。

プレーカー1号は、仙台で震災前から遊び場活動をしていた
「冒険遊び場・せんだい-みやぎネットワーク」に貸与し、
流されてしまった遊び場の代わりに、各所で出前遊び場を展開した。
2号は「あそぼっかー」と命名され、運転するプレーワーカーとして、
以前、阪神淡路大震災で共に遊び場づくりをした須永力(あだ名はぶんちゃ)に声をかけた。
二つ返事であそぼっカーに搭乗したぶんちゃは、被災地を北に南にと駆け回った。
その結果が、5年4カ月で14万キロという数字だった。

走り始めた翌年、この活動を知った日本ユニセフ協会がその重要性を見抜き、
あと2台(命名:あそぶーぶー、あそびたいや)と搭乗するプレーワーカーの人件費を担ってくれた。
このメンバーはのちに「プレーワーカーズ」という一般社団法人をつくり独立、自分たちでプレーカー3台を走らせていた。
それが、夏休みを目前にしたこの時期の故障。
エンジンが動かなくなっているので、エンジンの積み替えか車自体の買い替えしかない。
けれど、見てきたように、この車はたくさんの人の思いが詰まって生まれてきた。
新たに買い替えれば済むという話ではない。
もちろん、お金もかかる。
プレーカーは、その性格上、利用者からお金を取ることなく出前に出向いている。
なので、こういう事態に出会った時の修理代がなかなか積み立てられないのだ。
FB上に故障の話がアップされると、多くの人が残念がった。
「ここでカンパを募れば少しは足しにできるかもしれない」
ぶんちゃに、振込先をアップしてもらった。

この話、この原稿を書いた7月7日時点で決着がついたわけではない。
けれど、FBでこの件を知った人が、ひょっとしたら寄付してくれる可能性が出てきた。
すごいな、文明の利器!
荷物満載で14万キロも走っているのだから、エンジンを直しても次に何が壊れるかわからない。
けれど、1日でも長く、1キロでも先に走り、そこで待っている子ども、大人、親子に
「遊ぶって楽しんだぜ!」を届けてあげてほしい。
子どものその姿を見て「遊ぶことは本当に大事なんだ」と思う大人がたっくさん増えること。
プレーカーは、これからもその種まきをし続けていく。

6月

2017年06月13日
震災をきっかけに、東北に移住し、今でも活動を続ける友人から報告が届いた。
その中の一文に、以下のようなものがある。
「陸前高田市は、未だに復興は進んでおらず町のほとんどは復旧していない市です。本当に進んでいません。」
「本当に進んでいない」、そこに想いを寄せ続ける者だから言える、迫力のあることば。

陸前高田市に初めて入ったのは、震災からもう数カ月もたっていた。
陸前高田市は、岩手県の沿岸部最南端に当たる。
ぼくたちが遊び場を立ち上げた気仙沼市は、宮城県沿岸部の最北に当たり、山を挟み隣となる。
隣の市とはいえ、遊び場は気仙沼市の中では最も南側にあり、少し南下すれば隣の南三陸町だ。
それに、まだ当時は道がまだしっかりと確保されていなかったようにも記憶している。
気仙沼市内を抜けて陸前高田に北上するのは、まだ困難だった。
いや、そればかりではない。
正直なことを言えば、怖かったのだ。
気仙沼に入るときもそうだったが、そこで一体何が起きているのか、
テレビを見るようには行かない臨場感が、心も体も縛り上げていた。

そして、陸前高田に行くためには避けて通ることができない気仙沼市内の最北端の鹿折地区。
記憶にとどめている方もいらっしゃるかもしれない。
石油タンクから油が流出し、流された瓦礫に付着、海面が燃え上がったのだ。
押し寄せる海面と、全てを焼き尽くさんばかりの業火。
ぼくもテレビでしか見てはいないが、「地獄だ」と心が凍る光景だった。
鹿折に初めて入ったのは震災から2カ月後くらいだったが、その時も本当に怖かった。
油特有の、鼻を突く強烈な臭いが、さらに僕の心を縛り上げたことを覚えている。
ここで何が起きたんだ!・・・想像するのが怖かった。
想像しても仕切れるものではないのだが、初めて行ったときには思考が停止していたのではないかと思う。
おそらく、感情も。

陸前高田で鮮明に覚えているのは、老人ホームの光景だ。
そのホームが建っているところからは、建物がすべて流されているにもかかわらず、海は見えない。
なのに、中に入ると僕よりずっと高い位置に波が暴れた後が残されていた。
「真っ黒な巨大な饅頭」、津波をそうたとえた人もいるが、白い壁に、まさに真っ黒な痕跡が残されていた。
水しぶきが天井にもはね、その流れがどれだけ荒々しかったかが読み取れた。
ここにいたご老人は無事だったろうか、スタッフは・・・。

かさ上げ工事で以前の町は見る影もなくなってしまったが、確かにここに住んでいた人々がいたし、今もいる。
その中に、いまだに遊べずにいる子どもを案じ、遊び場をつくろうとしている人がいるのだと、報告にはそう書かれていた。
野山を開放して、昔の子のように遊んでほしいと願い行動を起こそうとしている人がいる。
すさまじい体験を乗り越えて、いや、乗り越えるために。
そういう人がいることを、ぼくは常に覚えていたいと強く感じた。


※管理人の都合で、掲載が遅くなりました。申し訳ありません。

5月

2017年05月10日
不穏な空気が漂う。
言うまでもなく北朝鮮とアメリカを中心とした国際情勢だが、不思議なのは日本政府の対応だ。
ミサイル発射実験に、電鉄会社の多くが東京の地下鉄を止めた。
「やりすぎ」との批判もあるが、万が一にも、の事態を想定したことがわかる。
なのに、国は原発を止めない。
こちらは、万が一がさらに万が一にでも起こったら地下鉄とは比較にならない事態を招くというのに。

北朝鮮が「核」ミサイルを持とうが持つまいが、通常兵器のミサイルで原発を狙えば核爆弾投下に匹敵する効果を得られる。
もし自分が北朝鮮だったら、そして本当に戦争を辞さないとしたら、
米軍基地があるところと共に川内原発(鹿児島県)と玄海原発(佐賀県)をまず狙うだろう。
偏西風に乗った放射性物質は、中国からの黄砂が日本全国に降り注ぐように、数日中に日本全土を覆いつくすにちがいない。
日本列島を飛び越えたと報道があった弾道ミサイルの射程内にある原発は、これらだけではない。
島根原発(島根県)、伊方原発(愛媛県)。

特に伊方には、史上最も毒性が強い物質と言われるプルトニウムが燃料のプルサーマルがあり、
例えば、これを爆撃しただけでも効果は超ど級のはずだ。
福井県には高浜(含プルサーマル)、美浜、敦賀、ほかにも志賀(石川県)、柏崎刈羽(新潟県)もある。
これら全ての原発がやられたら、その地域の人はもちろん、日本には安心して住める場所はなくなるのではないだろうか。
これらの中には廃炉を決定しているところもあるが、短くても30年かかるといわれている。
しかも、核廃棄物の最終処分方法が、相変わらずに見いだせていない。
原発は、人里離れたところにある。
ミサイルで亡くなる一般市民は限られ、しかしダメージは壊滅的だ。
攻撃する側から考えれば、犠牲を最小限にして国際批判を極力抑え、しかも最大限の効果を得られる。
攻撃にはもってこいの場所だ。
こんなことは、ちょっと知識があればおそらく小学生だって思いつく。
腹の中に抱えた「核爆弾」を、政府はなぜ排除しないのか。

除染ができず、高線量のままの浪江町の山中。
4月29日の昭和の日、落雷によるとみられる山火事が発生した。
こどもの日である5月5日現在、いまだ鎮火には至っていない。
樹木に吸収された放射性物質は、燃えることによって濃縮される。
一般に、まきを燃やすと灰は100倍くらい濃縮されるらしい。
それが炎で舞い上がり、風に乗って広範囲を汚染する。
そんなことが起きてはいないか。
また、雨によって土壌に吸われ、何十年何百年もたって地下水として地表に姿を現すことだってある。
もちろん、放射性物質によっては、半減期はそんなものではない。
町は、この4月から帰還困難地域の一部を解除し、町民の中には帰町を開始している人も多くいる。
その人たちに、今度はきちんとこの情報は届けられているのだろうか。
空間線量等、この件について、都市部のニュースではほとんど報道されていない。

福島の子どもに有意に甲状腺がんが多いのに、原発との関連を、公式には一切認めていない。
それどころか、健診データそのものを系統だって集めようとしていないのだという。
原因を突き止める、そのためのデータそのものがしっかりとられていないとすれば、
これは何か意図的であると言われても仕方がない。

情報自体をそもそも集めない?し、集めても表に出さない?
国際NGOである「国境なき記者団」が毎年発表している「報道の自由度ランキング」というものがある。
180か国中、日本は前年の61位から72位へと大きく後退した。
おそらく、多くの国民の実感とも齟齬がないのではないか。

「昭和の日」に起きた、被災地域での一つの火災。
昭和という時代は、あらゆる意味で大変な転換期だったと言える。
後世に続く素晴らしいものをたくさん残したが、
第2次世界大戦という取り返しがつかない巨大な負の出来事からは、まだ全く学習が足りていないように思える。
「こどもの日」に、子どもたちに胸を張ってプレゼントできる社会、
さまざまな困難な状況にも遊び心を持ち、周りの人と力を合わせて楽しみながら乗り切る、
そんな社会を来年こそはプレゼントできるだろうか。

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