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8月

2011年07月31日
ここに一冊のブックレットがある。
ぼくの本、「子どもは大人の育ての親」を編纂してくれた“ゆじょんと”が発行した。
「ふたつのよみもの」というタイトルがついている。
ふたつのうちのひとつの主旨をお伝えしたい。

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山口県の上関に中部電力が原発を建てる、それが話の舞台だ。
上関は瀬戸内海に突き出ている。
上関、中関、そして下関と続く、そこは関所のひとつだった。
上関の突端には、祝島という小さな島がある。
ここの漁師たちは、現金収入を求めて島根原発に働きに出ていた。
中部電力が持つ唯一の原発だ。
原子炉の中に入っての定期検査。
中電の社員は絶対に関わらない、下請けで回される仕事。
すると漁師たちに異変が起きた。
癌だの白血病などに冒され、多くが死んだ。
しかし一切の因果関係は認められていないため、もちろん補償もない。
その人たちが住む場所から4キロのところの上関町田ノ浦に、1980年、原発を建てるという話が降ってきた。
原発の恐ろしさを全身で感じていた祝島の人たちは、以来30年、毎週月曜、反対のデモを続けてきた。
しかし過疎は、現金が転がり込む原発を歓迎もし、賛否は真っ二つとなった。
町民の意を問う町長選。
その町の選挙権を得られる半年以上の居住。
中部電力が雇う男たち100人が、この町に住んだ。
選挙で原発推進の町長が勝つと、その男たちは姿を消した。

田ノ浦には、千年以上もの歴史を持つ小さな社がある。
そこが原発計画地と知り、神主である林宮司は断固拒否を貫いた。
買収にも、脅しにも、女を使っての篭絡も効かなかった林宮司。
すると、何者かが宮司に成りすまして辞職願を出した。
神社本庁はこれを直ちに受理し、すぐに別の宮司を配属。
その宮司は、即刻社のある土地を中電に売却した。
辞職願は偽造されたと林宮司は提訴。
裁判の最中、倒れ亡くなった。
裁判は弟に引き継がれた。
2007年、判決。
辞職願は偽造だと認められたが、社の土地の中電への売却は有効だというものだった。

田ノ浦に原発を建てるためには、埋め立てをしなくてはならない。
そのための調査を、国と中電は真夜中に行った。
昼は住民の誰かがそれを見張り、それを防ごうとするからだ。
埋め立ての権限は県知事にある。
自民党出身の知事は、あっさりとGOサインを出した。

工事は、真夜中や、反対派のリーダーが裁判所に出廷する時を狙って行われた。
そして、工事妨害は犯罪だと中電が提訴し、裁判所は妨害した者に500万の罰金を命令した。
2011年2月21日、中電は埋め立て工事を強行した。

こうした事実を、マスコミは一切報道しようとしない。
今の日本では、報道されなければそれはないことと一緒なのだ。

―――大原清秀「神主殺人事件」

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昨今の、原発推進のための情報操作。
原子力保安員までもがその加担者だった。
原子力推進は、自民党が立てた国家プロジェクトだ。
そこに反対するものは、容赦なくだまらされてきた。
ぼくも、そういえば原発についてはあまり発言をしてこなかったと感じている。
それを今、恥ずかしく感じている。
だから、これからはなるべく声に出そうと思っている。

美しい姿を残したまま汚染され、おそらくは2度と帰れないところさえあるであろう原発事故の影響地。
被災したところは、片付けることさえできない。
広がる汚染牛。
消費者は、自分の身の安全ばかりが気になっているように見える。
けれど、最も悔しくてつらいのは、おそらくはそれを育てた人たち。
安全でおいしい肉を出荷するために、毎日何年も餌をやり、掃除をし、手間をかけ続けてきた。
放射線が、それを打ち抜いた。

放射性物質は、自然界にある限りそれ自体はそんなに害はない。
放射性物質が恐ろしい力を発揮するのは、それを人工的に大量に扱うときだ。
人間の手で制御できる範囲を、そのとき簡単に超えていく。
そして、それを完璧に扱う技術はおそらく人間では持てない。
少なくとも、今はその道筋が立っていない。
その証が、死の灰の有効な処分方法に全くめどが立っていないことだ。
ことに日本は、原子力技術においては小学生並だと言われている。
だから、福島ではアメリカとフランスがいなければ何もできなかった。

けれど、もっとおそろしいこと。
それは、そこに群がる利権の構造。
それが人を変える。
情報操作も、情報隠蔽も、そして暴力さえも産み落とされる。
もう少し言うと、原発を建てる技術と、原爆をつくる技術はさほど変わらないらしい。
だから、原発の詳細は国家機密となる。
機密があれば、そこに関係したさまざまな秘密主義が横行する。
そして、互いを監視しあう。
こうなった時の人間は、放射線よりもっとたちが悪い可能性すらある。

民主党に政権が交代していてよかったと、心から思う。
国策として政策に掲げ、「神主殺人事件」にあるようになりふり構わず推進にまい進してきた自民党だったら、
おそらくは考えられないほど情報を操作したのではないかと思う。
菅直人が首相でなければ、浜岡原発が止まることは決してなかっただろうし、
原発見直し論議もこれほどマスコミが取り上げ、大きくならなかったと思う。
それでもマスコミの取り上げ方は、まだまだ小さすぎると感じている。
だって、ことは今後数十年は続くことなのだ。
民主党でよかった。
とくに民主党ひいきなわけではないが、これだけはそう思う。

8月に入った。
じきに長崎と広島の日がやってくる。
何年も被爆者の被曝を認めなかった(これも自民党)政府。
数マイクロシーベルトで大騒ぎしている国や国民のこの事態を、被爆者はどう感じているのだろうか。
これで、被爆者の救済も進むのだろうか。
被爆者の苦しみを、これでぼくたちは少しでも理解できるようになるのだろうか。

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8月11日(木)午後2時46分は、前月同様、羽根木公園で「ふるさと」を歌います。
プレーパークのみんなは、この日は伊那谷でキャンプ中、そこで歌うと言っています。
みなさん、よかったらご一緒に歌いませんか。


7月

2011年07月10日
気仙沼の遊び場をネット上で見つけて、協力の申し出を下さった企業がある。
アロマテラピー関係の企業だ。

被災前の東北を写した写真を公募し、
香りも印刷(?)した「香り付き写真集」の出版を計画。
その売り上げを寄付したいという内容だ。
news aromamora
(7/10現在、写真の募集は締め切られています)


東北の姿は、どうやらすっかり変わってしまったらしい。
「らしい」というのは、地元の人はそう言うのだが、
それ以前の姿をぼくが知らないことによる。

遊び場をつくっている気仙沼市本吉町の大谷地区は、
大谷海岸という三陸でも有数の美しい砂浜で、
正に今がシーズンとして大勢の人で賑わっていたはずだった。
その砂浜が、消滅してしまった。

「日本一海水浴場に近い駅」として名を売った気仙沼線「大谷海岸駅」。
それに偽りはなく、駅のホームから石段を数段下りるとそのまま砂浜に続く。
ビーチである砂浜は、奥行きが40~50メートルはあったようだ。
けれど、ぼくの目の前に広がる光景は、その石段を洗う波だ。
海岸線自体が40~50メートル後退したことになる。
一体砂浜がどこにあったのか、その風景は想像を許してはくれない。

4度目の訪問で、道の駅が再興していた。
国道沿いにある大谷海岸の道の駅は、気仙沼線の大谷海岸駅と隣り合わせにある。
小腹がすき、ラーメンと書かれたその駅に入り、注文をした。
テーブルに、一冊の写真集があった。
被災前の三陸の町を、空から写した写真集だった。
大谷海岸には、確かに真っ白な砂浜があった。
とてもとても、美しかった。
空から見るエメラルドグリーンの海は遠浅で、
本当にたくさんの家族連れやカップルがその恵みを謳歌していた。

そればかりではない。
山間に点在する家々。
ああ、ここにこんなに家があったのか、
こんな山側にも家があったのか、
こんなところも集落だったんだ。

すべて失われたところからしか見ていないぼくに、
写真に残る暮らしの姿はとても暖かかった。
「家、流された」と言っていた子どもたちの背景が、わずかに見えた気がした。
初めて、想像することが許された。

子どもたちは、この夏大谷海岸で遊ぶことは禁じられるのだという。
30メートルの高台にあった学校のプールも津波で壊滅し、
60センチ冠水した校庭には仮設住宅が立ち並ぶ。
ことごとく夏の楽しみを奪われ、せめてもとの思いで
近くに住む地主さんに頼んで水を分けてもらい、遊び場に水道を引いた。
雄大な海に比べ水遊びはささやかではあるが、自由に使えたらと思う。

失われたふるさとの姿。
けれど、ふるさとの記憶は決して自然だけで形作られるものではない。
人と人、人と生き物、それら命とのかかわりが
記憶に刻まれふるさとの原風景に核を与える。
「ふるさと」を失わせたくない。

しばらく更新しなくて、このブログに訪ねてきてくれた人には申し訳ないことでした。
もう明日になってしまいましたが、羽根木公園に行こうと思っています。
午後2時46分。
「ふるさと」を想い、歌いたいと思っています。