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11月

いよいよ秋が訪れてきた。
ここ数日で、めっきり寒くなった感じだ。
この秋は急な気温の低下で、この10年で最も紅葉が鮮やかな年なのだそうだ。
そのぶん身体が付いていかず、体調を崩す人も出てくるのかも知れない。

10月3日、公園で一人の男の人が亡くなった。
いつもプレーパークに来て、片づけや掃除をしてくれた人だった。
公園で寝泊りしていたその人は、
時には片付け損なった道具も回収し、お決まりの場所に隠しておいてくれた。
それなのに、自分が見つけたなどとは言わない、静かで穏やかな人だった。
幼児から慕われ、お母さんたちも作った昼ごはんに誘い、中高生たちと談笑し、
その人はいつものプレーパークの風景のひとつだった。
そのひとが、ある朝急に亡くなっていたのだった。
プレーパークのメンバーは、7日に控えた大きなお祭りのお手伝いもしていたその人を想い、
その人をかたどった張子の山車を作り、祭り当日にたくさんの子どもがそれを引いた。

11日、「ふるさとを歌おう」の日、その人を偲ぶ会が開かれた。
口数が少ないその人だが、島根から来たことを聞いていた人がいた。
氏名と島根出身であることを警察に告げたところ、家族が見つかり連絡が取れたのだそうだ。
遺体は、家族に引き取られたということだった。

ふるさとに家族を残して出てきた人が、どんな気持ちを抱えて生きているのかは分らない。
行方不明だったその人の消息がつかめたと思ったら「死亡通知」だった、
その家族の思いも、僕には知る由もない。
けれど、ふるさとをおいてきた人がこの世の中にはたくさんいるし、
その人数のおそらく数倍、おいていかれた人がいる。

東北からも、少し前まで出稼ぎやらで多くの人が都市を目指し入ってきた。
帰る家のある人の方がもちろん多かろうが、
そのまま都会の隙間に落ち込んだ人も決して少なくないのだと思う。
家族ばかりでなく、家もなくした人が思う「ふるさと」、それはどんな風景なのだろう。
どんな風景として思い起こされるものなのだろう。
そして、震災は、原発は、そういう人を
追い込まれてそうならざるを得ない人をきっと間違いなく増やした。
その人たちに、これからの時期は特に厳しい季節となっていく。

公園で亡くなったその人の家族に宛てて、プレーパークの人が手紙を出すという。
「最後まで、みんなから慕われていました。
決して、さびしく一人でなくなったのではありません」。

この日だけは、東北ではなく島根に向かって「ふるさと」をみんなで歌った。
その人と、その人を引き取ってくれた家族への感謝をこめて。



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