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9月

9月3日、北朝鮮が水爆実験に成功したとの報道があった。
その時の地震波観測によれば、威力は広島型原爆の10倍、という。
北海道をまたいでの弾道ミサイル実験に続く、無意味な緊張を生み出す行為だと言える。

地域間の紛争、国内の内戦、国同士の戦争、これらに巻き込まれた人達を「被災者」と呼ぶことは呼ぶが…
当然だが、地震や津波、台風や噴火などの自然災害とは違う、人の意思による人災だ。
それを、自然災害で被災した人と同じく「被災者」と呼んでいいものなのだろうか。

通常なら、殺人や暴行などに遭った場合「被害者」と呼ばれる。
「加害者」がいるからだ。
紛争、内戦、戦争は、起こすものが大義を語りはするが、それとは関係ない、あるいはその大儀を支持していない人も多い。
その人たちが巻き込まれた場合、その人たちは明らかに「被害者」で、大儀を語った者たちは加害者とはならないのだろうか。

国家間の戦争に至る場合、加害者の大義はこうだ。
「この国家を守る義務が私にはある。国民を守る義務がある。」
守る?何からだ?
北朝鮮、アメリカ、日本。
今のやり取りを見ている限り、自分の言うことを聞けと言い合っているように見える。
核を持つ国が他国へは持つなと言い、その傘下で安全を守られている国が「お前は持ってはだめだ」という。

憲法は、戦争に向かって暴走する国家権力を縛るために生まれた。
第2次世界大戦という膨大な犠牲(被害者)の基に手にした、血塗られた極上の理性だ。
主権は、国家(権力)にではなく国民にこそあり。
そう明言しているが、その国家権力は今、国家を守るため、国民に義務を課そうとしている。
それが憲法改正の真の狙いだろう。

灘、麻布、筑波大付属など、有名中学で採択した教科書が、反日呼ばわりされている。
従軍慰安婦の記述がある教科書だったからだ。
昔はほとんどの教科書に記述されていたのに、「自虐史観」だとの声に押され、今では記述がある教科書はなくなっていた。
その中でそれを記述した新しい教科書で、それが選ばれたから「反日」なのだという。
第2次世界大戦前の雰囲気が感じられる。

自然災害は、恐らくどんなに科学が発展しても止めることはできない。
けれど、人災である戦争は、止めることができる。
そのためには、生まなくていい被災者に対する「想像力」が必要だ。
想像力は、恐らくは人間にしか持ち合わせていない力なのだろうから。



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