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6月

世界中が、こんなに混乱するとは考えもしなかった。
もちろん、新型コロナウィルス(正式名Covid-19;コビッド19)のことだ。

2019年12月に中国で最初に報告されたというこのウィルスは、今年の2月ころから瞬く間に世界にその感染を広げた。
日々広がる感染を伝える報道に、不思議なことに僕自身は、怖さよりも人のつながりの大きさに驚きを覚えていた。
たとえば、僕が誰か10人を紹介するとして、その紹介された10人がそれぞれ新たな10人を紹介する。
それを繰り返していくと、10人目で世界中の人が紹介しつくされることになる。
自分から始まり、わずか10人目で世界中の人がつながるという事実を、このコロナは可視化したように思えた。
世界は狭い。
そんな狭い関係しかないのに、このコロナ禍にあっても世界中が暴力と奪略、紛争や戦争から脱却することができずにいる。
むしろこの傾向は、コロナ禍にあって、より拍車がかかっているとすら思える。
そこに巻き込まれていくのは、常に子どもだ。

新型コロナは、確かに自然災害だろう。
けれど、その対処に関しては、政治が決定的な影響を与えている。
分らないことだらけのウィルスだったため、過剰かとも思える自粛対応は確かにありえたのだろうとは思う。
ただ、国内に限って言えば、それを進める上で欠かせなかったはずの検査体制の構築や保障の在り方については、未だにおざなりのままだ。
その問題の解決が見えないまま、「新しい生活様式」というものが提唱されてきた。

世界的にみても、子ども同士の感染例はその報告が極端に少ない。
子どもの重症化も同様で、北九州の小学校で報告された子どものクラスターも、世界で初めてともいわれる報告事例であると同時に、感染した子ども自身はほとんどが無症状だ。
つまり、このコロナは今のところ、インフルエンザのように子どもには悪さをしない、とみられている。
そうであれば、インフルエンザに対するように、集団免疫を高める上でも子どもの罹患は忌避しない、そういう判断があってもいいのではないか。

子どもは感染してもいい、もちろんそんなことを言っているのではない。
子どもの育ちには、「密」が欠かせない。
その中で、彼らは愛着を感じ、自分や他者を知り、コミュニケーションの力を育て、思いやる心を育む。
彼らの育ちは早い。
大人の1か月の自粛は、彼らの1年の自粛に匹敵する、いやそれ以上かもしれないくらいだ。
それなのに、大人は自分に課せられた基準をそのまま子どもに適用しようと努力を重ねる。
その状況が奪う子どもの育ちの機会、それに光を当てた報道は今のところほぼ見当たらない。

この状況に、わずかでも疑義を唱えたいと、僕はマンガを描いてFB上に挙げてきた。
今回は、それを共にアップしたい。
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