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4月

先月の11日、つまり、3月11日は、震災から丸2年が経った日だった。
いつものように、「ふるさと」を歌いに、羽根木プレーパークまで出かけていった。

毎月のことなのだが、その日に誰が来るのかは、行ってみないとわからない。
レギュラーのように毎回来る人が数名いるのだが、
その人たちでさえ、行ってみないと今月も来るのかどうか分らない。
事前に確認すればいいようなものだが、今までそれをしては来なかった。
この取り組みへの参加は、全くの自由意志であってほしい。
プレッシャーをかけるような声かけはしたくない。
きっと、そんな気持ちが働いているのだと思う。

それなのに、先月の集まりには何十人もが集まった。
2年ということがあったのだろうが、これは驚きだった。
ことに目を引いたのが、乳幼児をもつ若いお母さんが多かったこと。

14時46分。
いつものように、東北の方向を向いて少しの間黙祷をした。
続いて、ふるさとを歌った。
毎回来る人が「のぼり」を作ってくれ、それを掲げながら歌った。
いつもなら、本当にこれだけで解散する。

けれど、先月は違った。
お母さんたちが、自分たちのメッセージを聴いてほしいという。
残れる人には残ってもらえるよう、お願いをしてバトンタッチをした。
お母さんたちは、みんなの前に立って深呼吸をした。
「私は、今まで声を挙げてきませんでした。」
そこから始まった、原発再稼動反対のパフォーマンス。
「ラブミーテンダー」の替え歌である、「放射能はいらねぇ!」という歌。
ラブミーテンダーといえば、エルビスプレスリーが歌った名曲。
それを、忌野清志郎が替え歌にしたのだという。
http://www.youtube.com/watch?v=kLyEg-eXf1g
その替え歌に、さらに「割烹着~ず」というグループが振り付けをつけて踊った。
http://www.youtube.com/watch?v=DKQlL6QWmjs
それを練習し、お母さんたちが歌い、踊ったのだ。

多くの人の前でこんなふうにメッセージを出すのは、初めてだというお母さんたち。
恥ずかしそうでもあり、誇らしげでもあり。
勇気がいったことだと思う。
それだけ、重大なことなのだとも思う。
子どもにどんな世の中を残せるのか。
地球は、未来の子どもからの預かり物。
残せる、ではなく、いい状態のまま返すこと。
ぼくたちには、それができるのだろうか。



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