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4月

今日は11日。
「歌おう、ふるさと」との呼びかけからも7年以上たつが、今日も羽根木プレーパークでは「ふるさと」が歌われた。
ぼく自身は今日は行かれなかったが、いつも来るメンバーが来て、そこにいる人たちに呼びかけて歌ったと聞いた。
東北の方々との連帯を、という思いと、3月11日を忘れない、という思いと、
その両方からぼくが呼びかけたのが「歌おう、ふるさと」だった。
そのため、ぼくが直接参加する世田谷でのみ今でもこれが続いているのではないかと思っていたが、
実はそうではなかった。
前月の11日には山形にいたことを報告したが、東根市にある遊び場「あそびあランド」でも、まだ続いていたのだった。

事務局長の村山さんが呼びかける。
そこにいた人たちが輪をつくり、20人ほどで歌い上げた。
実際、福島の人を中心に多くの被災者を受け入れてきた山形県。
あそびあランドは誰でも来られるし、いちいち入園のために名前も書かないから、どこの誰かはわからないことも多い。
ひょっとすると、その歌を歌っている方の中にも
被災し避難してきた方もいらっしゃる可能性もないとは言えないその状況に、
ぼくの心は、実は少しざわめいていた。

帰還が始まった地域もあるが、除染が進まず、まだその予定が全く立たない地域がある。
「ウサギ追いしかの山 小ぶな釣りしかの川」
自分が育った、美しい故郷の風景。
初めて東北に入ったときの気持ちを思い出す。
「ここには、日本人の原風景がある」。
しかし、実際にはそう簡単には戻っては来ない「ふるさと」の現実。
そこに想いを馳せるという事は、その方たちにとってはどういうことを意味するのか。
おそらくは、同じく被災され避難した方でも、一人一人が違うのだろう。
それでも、外の人間では決して推し量ることができない何かを、その人たちは感じているのではないだろうか。
そう考えたとき、改めて「ふるさと」を歌うことの重みを感じた。

前にも触れたが、今はもう、決して忘れない、そのためだけに歌っている。
「そんなことはやめてください。私たちがどんな気持ちになるか、迷惑なのです。」
そうメッセージをくださった方のことは、ずっと忘れないできた。
その声を押しても歌ったことに対する重み。
改めて、それをかみしめることができた「あそびあランド」での時間だった。



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