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7月

気仙沼の遊び場をネット上で見つけて、協力の申し出を下さった企業がある。
アロマテラピー関係の企業だ。

被災前の東北を写した写真を公募し、
香りも印刷(?)した「香り付き写真集」の出版を計画。
その売り上げを寄付したいという内容だ。
news aromamora
(7/10現在、写真の募集は締め切られています)


東北の姿は、どうやらすっかり変わってしまったらしい。
「らしい」というのは、地元の人はそう言うのだが、
それ以前の姿をぼくが知らないことによる。

遊び場をつくっている気仙沼市本吉町の大谷地区は、
大谷海岸という三陸でも有数の美しい砂浜で、
正に今がシーズンとして大勢の人で賑わっていたはずだった。
その砂浜が、消滅してしまった。

「日本一海水浴場に近い駅」として名を売った気仙沼線「大谷海岸駅」。
それに偽りはなく、駅のホームから石段を数段下りるとそのまま砂浜に続く。
ビーチである砂浜は、奥行きが40~50メートルはあったようだ。
けれど、ぼくの目の前に広がる光景は、その石段を洗う波だ。
海岸線自体が40~50メートル後退したことになる。
一体砂浜がどこにあったのか、その風景は想像を許してはくれない。

4度目の訪問で、道の駅が再興していた。
国道沿いにある大谷海岸の道の駅は、気仙沼線の大谷海岸駅と隣り合わせにある。
小腹がすき、ラーメンと書かれたその駅に入り、注文をした。
テーブルに、一冊の写真集があった。
被災前の三陸の町を、空から写した写真集だった。
大谷海岸には、確かに真っ白な砂浜があった。
とてもとても、美しかった。
空から見るエメラルドグリーンの海は遠浅で、
本当にたくさんの家族連れやカップルがその恵みを謳歌していた。

そればかりではない。
山間に点在する家々。
ああ、ここにこんなに家があったのか、
こんな山側にも家があったのか、
こんなところも集落だったんだ。

すべて失われたところからしか見ていないぼくに、
写真に残る暮らしの姿はとても暖かかった。
「家、流された」と言っていた子どもたちの背景が、わずかに見えた気がした。
初めて、想像することが許された。

子どもたちは、この夏大谷海岸で遊ぶことは禁じられるのだという。
30メートルの高台にあった学校のプールも津波で壊滅し、
60センチ冠水した校庭には仮設住宅が立ち並ぶ。
ことごとく夏の楽しみを奪われ、せめてもとの思いで
近くに住む地主さんに頼んで水を分けてもらい、遊び場に水道を引いた。
雄大な海に比べ水遊びはささやかではあるが、自由に使えたらと思う。

失われたふるさとの姿。
けれど、ふるさとの記憶は決して自然だけで形作られるものではない。
人と人、人と生き物、それら命とのかかわりが
記憶に刻まれふるさとの原風景に核を与える。
「ふるさと」を失わせたくない。

しばらく更新しなくて、このブログに訪ねてきてくれた人には申し訳ないことでした。
もう明日になってしまいましたが、羽根木公園に行こうと思っています。
午後2時46分。
「ふるさと」を想い、歌いたいと思っています。



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