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11月

2017年11月11日
10月後半、2週に亘り終末に台風が日本を襲った。
特に21日から23日に亘り上陸した台風21号は強大で、日本上陸史上、最強クラスだったようだ。
総務庁の調べでは、10月25日16時現在、以下のような被害となっている。
「全国41都道府県で、死者・行方不明者8名、重傷者23名の人的被害、
また住家被害は全壊・半壊・一部損壊の合計234棟、床上浸水1,232棟、床下浸水1,941棟」
8名の方とそのご遺族にはことに痛ましい台風だったが、
伊勢湾台風並みと言われていた割には正直被害が少なくてよかったと思った。
おそらく、災害予報が事前に大きく報じられ続けたことが一定の功を奏したのだと思われる。
これも、気象衛星が以前からは比較にならないほど緻密に観測し、
気象の謎も随分と詳細に解析ができるようになってきたためなのだろう。
こうした「予報」は、さまざまな場面で行われ、警告も出している。

鹿児島県の桜島では、噴火の警報がレベル3に引き上げられた。
火口から2キロ以内には近づいてはいけない、という内容だ。
衛星からの観測では、山体が数センチ膨らんでいることが分かったらしい。
マグマだまりにマグマが充填されてきている証だという事だが、
この数センチの隆起が宇宙から分かるという事が驚きだ。
先手を打ったこの警報も、2014年9月に起きた御岳山の噴火事故の教訓なのだろう。
けれどそれができるのも、観測装置が取り付けられた火山のみだ。

南海~東海トラフ地震の対策に、海底に直接設置したセンサーが揺れをキャッチし
即座にその信号を新幹線に送る計画が進行しているという。
直接届くことで、最大30秒早くキャッチできるらしい。
このニュースを新聞で読み、ふと考えてしまった。
東海道新幹線は、これ以上ないほど過密に走っている。
最大30秒早く知ることができたとして、最高速度は落とすことは可能だとしてもおよそ停車できる時間ではない。
まだましということだろうが、日本列島を西と東に分けるフォッサマグナを横切る新幹線は、無傷ではありえない。
何より海岸線のすぐ脇を走る線路面が多く、その場に停車した新幹線が津波の直撃をかわすことは不可能だろう。
こう考えると、安心からどんどん遠ざかってしまう。

10月31日、恒例となったハロウィン。
渋谷の夜は相変わらず大賑わいだったようだが、ウィキペディアによるとこのお祭り、
「古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。
ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は夏の終わりを意味し、
冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた。
時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、
魔除けの焚き火を焚いていた。」
ハロウィンの翌日、11月1日は総裁選があり、憲法改正を狙う安倍政権が盤石の態勢で成立した。
何らかの厄災を指したのではないかと暗示させる「有害な精霊や魔女」から人は身を守ることは難しく思うが、
現世の人の営みに関してはもう少しは何とかできそうに思う。
おりしも、この原稿を書き終えたのが11月3日、文化の日。
憲法が公布された日だ。
この半年後の5月3日に施行され、この日は憲法記念日となっている。
子どものためにも憲法観測レーダーなど開発されて、警報を出してもらいたいと本当に思う。


10月

2017年11月11日
「安全・安心」というフレーズが、解散が決まった衆議院選挙の候補者から叫ばれる。
大儀なき解散と言われるこの選挙の争点の一つは、安全保障だ。
もちろん、その背景には北朝鮮とそれに過剰に呼応するアメリカの動きがある。
安全、安心な国家をどう作っていくかという議論は、確かに重要だ。
けれど、安全、安心は決してセットではないことを忘れてはならない。

例えば、「安全を守るため」に、という理由で増え続ける「監視カメラ」。
当局は「防犯カメラ」と呼ばせたいらしいが、監視カメラの方が本質を表している。
理由ははっきりしている。
事前に犯罪を防ぐ(防犯)ために設置するのなら、その存在が明確にされている必要がある。
けれど、これはその存在がないところに犯罪場所を変えさせるだけで、犯罪自体の抑止とはならない。
つまり、犯罪の抑止には使えないのだ。
使えるのは、それが起きたときの犯人捜しのための証拠としてだけという事になる。
だとすると、カメラの存在はわかりにくい方がいい。
なので「監視」カメラなのだ。
監視の対象は、国民すべてだ。
誰が犯罪を犯すのかわからない以上、そうならざるを得ない。
問題は、監視されることの方が安全だと思わせられることにある。
それは、お互いを監視しあう雰囲気を醸す可能性がとても高くなることを意味している。
戦前、戦中の「隣組」のように。

憲法学者の8割以上が「憲法違反の恐れがある」とした、安保関連法。
国民の「安全・安心」を守るためだ、との理由からの強行採決だった。
「安全」を守ってやるのだから、がたがた言うな、と言わんばかりの姿勢だった。
けれど、あの政治姿勢に「安心」などない。

豪雨に見舞われたときの河川やダムの水位の監視等、監視カメラは重要な役割を果たしている。
災害そのものは防げなくとも、避難をする等それに伴う被災は最小限に抑えられるからだ。
要は、だれが何のために使うか、それに常に目を向けておく必要がある、という事なのだろう。

「プレーパークってさ、安全じゃないかもしれないけど、安心だよね。」
小学4年生の男の子がぼくに話した言葉。
余りに的確な表現に、度肝を抜かれた。
「この子は、安全と安心の使い方が分かっている。そこらの大人よりずっと賢い。」
でもね、加えて言えば、よく遊びにくる子ほどけがをしないんだよ。
なにが安全で何が危険か、自分で判断しているからだと思う。
自分で身を守ることができる力を身に付けること、それに勝る安全はないよね。