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5月

2016年05月11日
熊本で、大きな地震があった。
4月14日、21時26分、震度7、マグニチュード6,5。
誰もが、これが本震だと思った。
素早い電気の復旧に、15日には明かりが戻った。
だから、その日は部屋に戻り、そこで寝ようとした人たちがいた。
その晩16日1時25分、震度7、マグニチュード7,3。
一度震度7で揺れた建物は、さらに高エネルギーのこの本震に、耐えるすべがなかった。
東海大学の、若い命がいくつも奪われてしまったその中に、ぼくの知り合いの子どもがいた。

地震の速報に、ご両親はすぐに本人と連絡を取ったらしい。
応答しない状況に、詳細は不明でもと、とにかく現地に向かったのだという。
着いた時には、もう収容されていた―そう教えてくれた人がいた。

お通夜には、たくさんの方々が参列していた。
驚いたのは、取材のクルーがたくさんいたことだった。
こんな時にしゃべらなくてはいけない側は、戸惑うしかないのではないだろうか。
参列しながら、大学の関係者なのだろうか、学生風の若者に
「君は生きていてよかったね」と言葉をかけているシーンに出くわした。
その通りなのだろうが、声をかけられた学生も、それで喜べるはずもない。
笑うことができないその言葉に、困惑したような顔を見せた。

ぼくは、そのお母さんととても親しかったというわけではない。
何回かしか会っていないのに、それでも
とても印象に残るバイタリティと、子どもへの視点の柔らかさを十分感じる人だった。
その人が、その日は本当に憔悴しきっているように見えた。
体が半分、引きちぎられたかのように小さくなっていた。
子どもが親よりも先に逝く、しかもその若さで…
その残酷さを思ったら、ぼくにもこみ上げるものがあった。
今は、ただただ冥福を祈るしかない。

阪神淡路、東日本等、震災後に現地に入っての子どもの支援活動は今までも行った来た。
ケアを必要としているであろう、多くの子どもたち。
疲弊しているであろう、現地で子どものケアに当たる地元の人たち。
絶え間なく起こる余震にさらされ、不安とストレスに限界を感じている人は多いはずだ。
さらに、この地震は広がる可能性さえあるといわれている。
熊本城、水前寺湖等、熊本の人の誇りであり心のよりどころも、大きく傷ついている。
それぞれの震災時には、そこに行かれる時間があった。
その時間が、今回ない。
じりじりとした気持ちだけが高まっていく。