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7月

2015年07月11日
特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会の設置する、東北支援の拠点、『東北オフィス』。
復興庁や日本ユニセフ協会の援助を受け、ずっと活動を展開してきた。
あそびグッズ満載の、子どもの目をくぎ付けにする派手なデザインのプレーカー。
被災3県それぞれに担当の車が配置され、要望があればどこにでも行き即席の遊び場をつくってきた。
その任に当たるチームから、先日、これまでの活動と最近の東北の状況に関する報告があった。
その中で、ひときわ衝撃的な言葉を聞いた。
「もう一度、地震が来たらいいのに…」
そう話す子どもがいるのだという。

その子は、震災前は地域からいい目では見られていなかったのだそうだ。
学校に行かず引きこもりがちだったその子は、
地域性が残っている土地柄ゆえに、逆に地域での居場所を失っていたようだった。
それが、震災によってその日常が破壊されてしまった。
その子は引きこもっていることができなくなり、手伝いも行った。
震災後の混乱は、目に見える手伝いがいくらでもあった。
それが感謝され、地域から受け入れてもらえている実感が少しずつわいてきた。
しかし4年が過ぎ、撤去する瓦礫はなくなり、助け合わなければならない日々は去っていった。
失った日常は徐々に元に戻り始め、彼はまた、同じ疎外感に苛まれているのだという。

この話を聞いたとき、阪神淡路大震災で小学4年の男の子から聞いた話を思い出した。
それは、神戸市長田区につくった遊び場でのこと。
震災から1か月ほどたったときのことだったと記憶している。
「――ぼくね、地震があってひとつだけよかったことがあるんだ」
その言葉を聞いた瞬間の自分の気持ちを、今でも覚えている。
家がつぶれ、そして焼かれ、数えきれない人が亡くなっている。
これだけの大きな被害の中で「よかったこと」がある?いったい何が!
驚きとともに大きな困惑、それと少しの怒りも交じっていたようなあの気持ち。
けれど、そのぼくの気持ちは、その子の次の話を聞いて大きな悲しみとなった。
「全部壊れちゃったでしょ。学校も、塾も、習い事も稽古事も、全部なくなった。
みんなが行かなくていいから、だから友達と遊べるの。」

「友達と遊びたい」、子どもとしてはごくごく当たり前のその願い。
わずかそれだけの願いがかなうために、これほどまでの破壊が必要とは!
それほどまでに、子どもは囲い込まれ追い込まれている…!
そう思ったとたん、涙が出そうになった。

日常が戻るにつれてなくなっていく、子どもが遊ぶということへの関心。
大人たちは、震災前のように、効率と競争の海原に戻そうとしている。
それがいかにも「復興」だというように。
それで、いいはずがない。