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2度目の「ふるさと」を歌いました。

2011年05月15日
先日11日、2度目の「ふるさと」を歌いました。
結構な雨にもかかわらず、20人近い人が来て一緒に歌ったのです。
場所は、今回は羽根木プレーパークで行ないました。
雨の日でも子どもが遊びに来るため、
ブルーシートで雨除けを作っていたのでそこを拝借したのです。

先月は1ヶ月目ということで人が来たのだと思っていたのですが、
2ヶ月目で、しかもしっかりと雨で、こんなに集まるとは思いませんでした。

そんなに思いを持ってくださるのならと、次の提案をさせてもらいました。
「呼びかけ人にみんなの名前を連ねたいんだけど」。
そうです。
もっともっともっともっと、呼びかけ人が欲しいです。
賛同者登録版
個人名をどんどん挙げてください。
もちろん、団体名でもかまいません。
呼びかけ人だけで1億人くらいになったら、これはもう国家行事だ!(笑)


「ふるさと」を歌おう。
これははじめは被災地の方を想い、心を合わせてふるさとの復興を願う、
そういう気持ちがとても強かった。
できることはほとんどないかもしれないけれど、想いは届けたい。

でも、実際被災地から東京に避難してきた人たちは、
テレビを見てずいぶん放送の様子が違うことに違和感を覚える、
そんな話を何人からか聞きました。
地元では、テレビ画面には必ず災害関係情報が、横か下かに帯状に流れているそうです。
それがない。
ACのCM、それがないと言った子どもがいたという話も聞きました。
変化の激しい都市では、被災も下手をするとすぐ過去のものとなってしまうのかもしれません。

実際は、不明者が数千人もいて、今でも毎日数人ずつ発見されています。
原発周辺では、完全にあの日から時間が止まったままです。
3月11日は「現在」なのです。

「ふるさと」を歌おう。
それは予想していたことではあるけれど、
予想以上に自分に向けた戒めという側面が強くなっていくのだと思います。
「忘れない」という戒めです。
それは、決して立ち止まったままという意味ではありません。
新しい一歩を踏み出すための原点、強い決意の原点、それを忘れない。


次回6月11日は、ぼくはなんと武蔵野市の西久保公民館というところで講演をしています。
そのど真ん中で、参加者に呼びかけていっしょに「ふるさと」を歌おうと決めています。

キムタクと一緒にならいざ知らず、
ぼくとでは参加者にとってはなんとも迷惑な話ですが(笑)
「忘れない同盟者」を増やすためにも、
これからも迷惑顧みずいきたいと思っています。


気仙沼の遊び場で

2011年05月06日
5月11日午後2時46分
震災から2ヶ月、再び「ふるさと」を歌いたいと思います。

子どもに何かできないかと、気仙沼で遊び場をつくり始めました。
地元の人たちの力を借りて、とてもいい遊び場ができてきました。

日本冒険遊び場づくり協会 被災地復興支援活動 専用サイト
被災地での遊び場づくり支援 - 日本冒険遊び場づくり協会事務局 - Picasaウェブアルバム

子どもの中には、「ただいま」といって帰ってくる子もいます。
家を流され、今でも避難所から学校に通っている子は少なくありません。
「ここなら津波も来ないね」、遊び場に来てそうつぶやいた子がひとりではなくいました。
それが最大の安心なのだと知りました。

子どもは、日々元気になっていくように見えます。
声を出さなかった子が話し出したり、笑顔を見せなかった子がにこっとしたり。
子どものその小さな変化がうれしい。
そんな子どもに引っ張られるように、地域の大人も少しづつかかわりを深くしています。

先日のゴールデンウィーク。
失ったものを買うために、仙台に行く予定を立てていた家族がいました。
3日、孫に連れられて遊び場に来て、夕方までいたおじいちゃんがひとこと。
「こりゃ、仙台行きはやめだな」。
孫にとっては、ここで遊んでいるほうが楽しいという意味でした。

地元の人がニコニコしながら言いました。
「今まで避難所でいい子にしていたけれど、
この遊び場で遊ぶようになったら、子どもの野生があっという間に戻ってきた」
子どもにとっては、遊んだ記憶がふるさとの原風景を形作ります。

ふるさとを取り戻す。
それは、「人と自分」のみならず、
「自分の心と自分自身」の絆を取り戻すことでもあるのかもしれません。
この震災を決して忘れないとは、絆を決して忘れないことでもあるのだとこの間に気づきました。
だから、毎月11日、地震のあった午後2時46分に「ふるさと」を歌います。

5月11日、僕たちが歌う場所は世田谷区立羽根木公園です。
皆さんも一緒に歌いませんか。