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1月

あっという間に年が明けてしまいました。
本年もどうぞよろしくお願いします。

のっけから昨年の話で恐縮なのだが、12月末、気仙沼あそびーばーから便りが届いた。
代表の鈴木美和子さんの文で、大変感動的な内容だったので、長いのだが省略しつつ紹介したい。

あの震災の時、夫が会長をしている寺谷地区のコミュニティーセンターへ120名の方が避難して参りました。
その日から夢中で被災者のお世話をしていた私たちの所へ、「日本冒険遊び場づくり協会」の方が
被災した子どもが遊びを通して心のケアができる環境づくりをしたいので、遊び場をつくりませんか?と訪ねて来られました。
その当時の子どもは、おとなたちの衝撃の強さを見ていましたので、
皆驚くほど静かで子どもが持っている本能を押し殺しているようでした。

そして、震災から1ヵ月半後、にぎやかにあそびーばーがオープンいたしました。
すると、子どもたちの楽しそうな声があちこちから聞こえるようになり、
元気を取り戻した子ども達を見て地域の人達が、「子どもの声が聞こえると嬉しいね」と言って、集まりだしたのです。
そんなお年寄りたちにご協力をいただき、子どもたちの見守りをお願いし、一緒に活動してきました。

そのような状態で日々過ごして1年後、
遊び場づくり協会はもともと遊び場を運営する団体ではなく支援する側だということで、寺谷振興会が一時受け皿になりました。
その後、広域に大勢の子どもが来るのに合わせ、昨年の4月からは現在の「気仙沼あそびーばーの会」へと移行してきました。

~中略~

いつの間にか大人の居場所にもなり始めました。
子どもが遊んでいるところで焚き火を囲み、見守りながら雑談する。
そんな楽しいひと時を過ごしているうちに、この地域にも一人暮らしや、あまり外に出たがらないお年寄りがいるのではないか?
そういう人たちが出かけるきっかけになればと思い、振興会を通してお誘いの案内を出しました。
子どもたちが元気に遊んでいる様子を見ながらコミュニケーションを深める場になってほしいという想いがあったからです。
内容は、お年寄りが誰でも手にしたことがある「ワラ」を使って何かを作ることでした。
ワラを使って・・・という言葉には皆さん興味を覚えたらしく、足が痛いので迎えに来て欲しいという方もおりましたが、
女性8人、男性3人が参加してくださいました。

~中略~

そんな楽しい時間を過ごしていると「足が痛いから迎えに来て」と言った人が、帰りは大丈夫だからと歩いて帰り、
次からは自信が付いたのかご自分で通ってくるようになりました。

~中略~

そんな中で、あそびーばーの助成金が来年1年で終わり、その後のめどはまだ立っていない事を伝えましたら、
おじいちゃん、おばあちゃんたちから、この手づくりリースを利用してあそびーばーの活動資金にしたらどうですか?と、
温かいお言葉をいただきました。
震災で、大人の大変さを見て子どもは元気をなくし、
あそびーばーで元気を取り戻した子どもの声を聞いて大人が元気をもらい、
そして子どもの居場所を継続させる為、おじいちゃん、おばあちゃんたちが立ち上がってくれた。
こんなステキなことがあるでしょうか?

~後略~

阪神淡路大震災の時は、元気が戻った子ども達を「うるさい」と叱る大人が多かった。
今度もそうかもしれないと、追い返されるのではないかと恐る恐るたずねた初めての日を思い出す。
避難所であるコミュニティセンターの中に初めて招かれた時に見た、壁に貼ってある大きな壁新聞。
その手書きのてっぺんの言葉は「子どもは地域の宝です」。
ここならいけるかもしれないと思ったあの時。
遊びが始まってすぐ、美和子さんが満面笑顔で走って報告しに来てくれた。
「遊び場ができて、子ども達に野生が一気に戻った!!」
こんなふうに子どもの元気を感じてくれる人たちがいた、と思わず涙が出そうになったあの日。
あの日から、こんな日を迎えられたことを、心から嬉しく思う。

みなさんも、あそびーばーのこれからを温かく見守ってください。



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