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11月

ついさっき、南相馬から帰ってきた。
南相馬市は、福島第一原発から一部が30キロ県内にかかっており、帰還困難区域がある。
しかし、原発の事故後の風向きのお陰か、実は線量は福島駅前より低いところが多くある。
その南相馬の高見公園で、自分たちで除染してでも屋外の遊び場を実践すると
「みんな共和国」が立ち上がったのは、震災から約一年後のことだった。

始めは、屋内のホールを使っての2週間の遊び場開園だった。
アドバイスを求められ、とにかく子どもが好きにしていい環境、それを提案した。
具体的には、ダンボールを山ほどぶちまけること。
それを切って、貼って、好きに指定医という環境だった。
屋内は人工だ。
そのままでは、子どもが働きかけて好きに変えられる環境は提供できない。
それでは、子どもが主体的に生み出す遊びが展開で気ないからだった。
2012年の春休みに行ったその実践で、子どもたちの表情が大きく変わった。
その実体験が、大人たちを動かした。

外で遊ぶことについては、喧々諤々だったと聞いている。
そんなことされたら子どもが遊びたがってしまうからやめてくれ、という声もあったようだ。
もちろん、そういう気持ちは痛いほど伝わってくる。
けれど、ぼくは思う。
遊ぶことができないことが、一体子どもにどれだけの影響を及ぼすか、
その重大さについての認識はほとんどない、ということだ。
それは、南相馬だからではない。
震災の有無に関わらず、全国でそれは起きていることだからだ。

おそらくは、
ことに自然がおおく残るといわれる地方でそれは深刻であると、全国を回って実感している。
自然が残る地域では、そこで遊んだ記憶が残る人にとっては「どこでも遊べる」から
だから子どもの状況に危機感が少ないのだろうと思う。
北海道は、体力も学力も全国で最下位なのだという。
しかし、恵庭市で幼稚園を営む友人が教えてくれた。
「それは地方のこどもであって、北海道の都市部の子どもはそんなことはない」のだと。

地方都市でも、都市部であれば自然とのふれあいが少ないことに意識が進む。
大人の意識が子どもの育つ現状に及んだ時、初めて動きが生まれてくる。
問われているのは大人なのだと、南相馬の実践を見て強く感じた。



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