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8月

先日、NHKのある番組担当者から、「ふるさと」についての取材を受けた。
番組企画を練る段階のもので、その材料を集めていると言う。

「ふるさと」とは、愛唱歌のふるさとのことで、
まさにこのブログなどで「歌おう!」と呼びかけているあの歌のことだ。
なぜ「ふるさと」なのか。
なぜそれが始まったのか。
どんな思いで歌っているのか。
今は、どのような状況か。
歌ってきたことで、何か変わったことはあるか。
そんなことを聞かれた。

聞かれて、これを呼びかけた始めのころのことを鮮明に思い出した。
あまりの被害に、列島中がおそらく息を呑んでいた。
何かできないか、誰もがそう感じていた。
けれど、東北はあまりに遠く、そして被災地域が広大すぎた。
多くの人が、なすすべを失っていた。
ぼく自身も、動けずにいる自分を感じていた。
せめてそこにいてできること、それは何かを考えた。
東北の美しい風景、それを思い浮かべた時、「ふるさと」が頭に浮かんだ。
提案すると賛同者が多数現れ、
ツイッターやブログの転載が相次ぎ、身の回りの人にあっという間に広がった。
ぼくにはできない芸当だったが、これで本当に、全国に広がった。
まだ4月のことだった。

阪神淡路震災の時もそうだったが、
都会の生活はあまりに移ろいやすく、東日本大震災も、遠からず忘れられていく気がしていた。
忘れないためにも、ぼくたち自身のためにこそ、この取り組みは必要だったと感じている。
この間、変わったこと。
途中から、若いお母さんたちが必ず参加してくれるようになった。
お母さんたちの最大の関心は原発にある。
子どもの将来のため、原発を2度と動かしてほしくない。
それを、声に出して言うようになった。
社会運動などとは無縁だったお母さんたちが、「原発要らない!」と声を高らかに訴えている。
そんなお母さんたちが、毎回歌いに来てくれている。
おりしも、今日は長崎に原爆が投下されて69年目。
放射線は、約70年たった今も、人類には到底扱えないものとして課題を残している。
汚染されたふるさとは、しかし、姿かたちだけは美しさを保っている。
それがかえって、放射性物質の残酷さを際立たせている。



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