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3月

あの日から、3年が経過した。
3,11を忘れないためにと毎月11日に「ふるさとを歌おう」と呼びかけた集まりは、
この3年間、毎月欠かさず行われてきた。
ぼくが行けないことも多く、でも、そんな時でも心強い仲間がそれを引っ張った。
最近では若いお母さん方の参加が増えても来て、ありがたいやらうれしいやら、だ。

3年という日がたつにつれ、福島を気遣うことが多くなってきたように感じている。
放射線という、自然災害とは全く違う巨大な厄災。
それが無残な爪あとを、そのまま残しているからだろう。
小さい子どもを持つお母さんたちには、決して人事ではないのだ。

福島だから全面的に汚染されているわけでは、もちろんない。
また、福島以外にだって強く汚染されている地域があるが、
そちらは報道の外に取り残されている。
そうした場所は、一体どのような日常を強いられているのだろうか。

外遊びをさせることへの大きな不安。
放射線の影響を恐れ、家の中に閉じ込められている子どもは
一体どのような日々を送っているのだろうか。
外遊びが禁じられることは、子どもの心身の成長を根底から脅かす。
その影響は、質は全く違うが、放射線被曝の脅威とほぼ変わらないとぼくは感じている。
外遊びができないと判断するのなら、そこから逃げてほしい。
これが偽らざるぼくの本音だ。

しかし、こうした状況に、東電はもちろん国の支援も理不尽なくらい行き届いてはいない。
この国は、本気で国民を守る気などないのかもしれない。

4月から、復興庁とユニセフからお金をいただいて、
プレーカーがもう2台増えて運行される。
その搭乗員とお手伝いのスタッフの育成を、2月3月に4泊5日で行っている。
若い人が多い。
この若い力が、次の社会を切り開いていく。
皆、とても一所懸命に取り組んでくれている。
本当に、心強い。



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