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2月

昨日は東京が大雪だった。30センチ近く積もったところもあるという。
けれど、都知事選の日でもある今日はぽかぽかの陽気で、
雪はすでにシャーベットのようになっていた。
時々、雪の塊が落ちる音がする。
あまりに大きな音だと、下に誰かいなければいいのだが・・・と、つい思う。
普段は見ない子どもの姿が、少しではあるが町の中で見かけられた。
雪だるまに雪合戦、歓声がまちに響く。

いつからか、珍しくなったこの光景。
ぼくが子どもの頃は、当たり前だったこの光景。

しばらく足を止め、雪だるまの行方を追った。
小学5年生くらいの男の子の2人組は、うんうんうなりながら
雪だまを転がし、大きくしていた。
雪だまの直径が自分たちの胸の辺りまで育った頃、
ついにそれはびくともしなくなった。
ガードレールを隔てた歩道上を転がした雪だまは、歩道の半分をふさいでいる。

何とか転がし大きく育てながらそれを外に出そうとしていたが、
自分たちの足の方が滑っていく。
一計を講じた2人組の1人は、ガードレールの付け根に足を掛け、
滑らない体制をとって押した。
その瞬間、雪だまがグラッと動き、その子はつんのめり転びそうになった。
再び響く歓声。

その場面を離れて見ていたぼくが笑ったことに、その子たちが気づいた。
歓声が止まった。
何だか邪魔をしてしまったような気分になり、僕はそこでその場を去った。

歩きながら、
見ていたのだから雪だまを転がす手伝いを買って出ればよかったなぁ、とか
いやいや、邪魔だよ、とか、自分に向かってぶつぶつつぶやいていた。
それにしても、とそのとき思った。
福島の子どもたちは、こんなこともできない状況に置かれているのだよな、と。

そんなことを思い出したのは、明日、福島に行くからだろう。
福島県が音頭をとる、外遊び。
その啓発に向けて、外遊びの大切さをぼくが話しに行くのだ。
これで、3回目となる。
放射線の低いところを選び、
すでに3箇所モデルケースとして展開しているが、更に増やしたい意向だ。

「天野は外遊びさえできれば、放射線のことはどうでもいいのか」
と、言われたことがある。
返す言葉はなかなか見つからない。

放射線からの悪影響、それは多々語られるが、
外遊びができない悪影響を本気で語る人はそういない。
外遊びの欠落は、健康被害ばかりでなく、
おそらく性格形成から人生の希望にまで大きく影響を残す。
生きることの質に大きな影を落とすことにつながりかねない問題なのだ。
しかし、線量の問題を無視できるわけでは当然ない。
そのために、僕は空間線量と土壌の占領の両方を計測し、それを公表する。
あとは、利用者がどう判断するか、
そこにゆだねるしかないのだろうとぼくは思う。

雪だまの子どもたちの歓声が、遠ざかったぼくの耳にまた届いた。
外遊びができる環境に幸せを感じながら、
けれど実際にはそれでも外で遊ばない子どもの現状に、心がちくりと痛んだ。



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