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12月

11月の始め頃だったか、新聞の記事に被災者の今を伝える記事があった。
確か福島に住む人だったと思うが、
なかなか先が見えない中でも前を向こうとしている姿が書かれていた。
しかしその最後に、「まだ、ふるさとの歌が歌えない」という一節があった。
このブログを始めた、2011年3月のときからのことを思い出した。
8月に、津波で家を失った方からのコメントが入っていた。
それは、以下の内容だった。

「被災者です。津波でふるさとを失いました。
ふるさとを失った人の気持ち分かってますか?
あなた方のような方々が歌うこの歌を聴くたびに
嗚咽する避難所の人達の姿を見たことがありますか?
頼みます。迷惑なのでやめてください。」

今回のこの記事は、このコメントを思い起こさせた。
この時のこのコメントに対し、考えた抜いた末にぼくはこう返事した。

(「ふるさとを歌おう」というこの企画は)被災者を勇気付けるのか、それとも傷付けるのか。
それがぼくにはわからなかった。
(中略)
人が持つ力に「忘却」がある、そういう人がいる。
忘れるから今を生きていかれるのだと。
それはそうかもしれない。
でも、忘れてしまった時にそれはないものになってしまう。
被災者には、おそらく生々しく刻まれたままの記憶。
被災者がそれを忘れることで今を生きられるのであれば、それは必要なことなのだと思う。
けれど、おそらくそれは難しいのではないだろうか。
被災者が忘れられないのに、自分も含めもし世の中の多くの人が忘れてしまうとしたら・・・
ぼくは、ぼくたちが忘れることがあってはならないと思った。
ぼくは、ぼくたちにとってこそ、この企画が必要なのだと思った。
そして、その思いはより明確により強くなっている。

傷付いた人がいるとしたら、ぼくには謝るほか手がない。
ごめんなさい。
でも、ぼくたちが忘れないために、月に一度、この歌を歌うことを許してほしい。
さまざまに流れ行く日常では、被災した人たちのことを常に思い出すことはぼくには難しい。
だから意識して月に一度、悲しいほどに貧しい想像力ではあるのだけれど、
それを総動員して心をこめて歌いたいのです。
お願いします。

このコメントをくださった方は、今はどうされているのだろうか。
まだ、許してくれてはいないかもしれない。
けれど、やはりこの企画は、ぼくたちにとってこそ必要なのです。
改めてお願いします。
「ふるさと」を、歌うことを許してほしい、と。

2013年が終われば、被災から3年目の3月11日までもうすぐだ。
今だからできること、それを考え続けたい。



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