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10月

「安全・安心」というフレーズが、解散が決まった衆議院選挙の候補者から叫ばれる。
大儀なき解散と言われるこの選挙の争点の一つは、安全保障だ。
もちろん、その背景には北朝鮮とそれに過剰に呼応するアメリカの動きがある。
安全、安心な国家をどう作っていくかという議論は、確かに重要だ。
けれど、安全、安心は決してセットではないことを忘れてはならない。

例えば、「安全を守るため」に、という理由で増え続ける「監視カメラ」。
当局は「防犯カメラ」と呼ばせたいらしいが、監視カメラの方が本質を表している。
理由ははっきりしている。
事前に犯罪を防ぐ(防犯)ために設置するのなら、その存在が明確にされている必要がある。
けれど、これはその存在がないところに犯罪場所を変えさせるだけで、犯罪自体の抑止とはならない。
つまり、犯罪の抑止には使えないのだ。
使えるのは、それが起きたときの犯人捜しのための証拠としてだけという事になる。
だとすると、カメラの存在はわかりにくい方がいい。
なので「監視」カメラなのだ。
監視の対象は、国民すべてだ。
誰が犯罪を犯すのかわからない以上、そうならざるを得ない。
問題は、監視されることの方が安全だと思わせられることにある。
それは、お互いを監視しあう雰囲気を醸す可能性がとても高くなることを意味している。
戦前、戦中の「隣組」のように。

憲法学者の8割以上が「憲法違反の恐れがある」とした、安保関連法。
国民の「安全・安心」を守るためだ、との理由からの強行採決だった。
「安全」を守ってやるのだから、がたがた言うな、と言わんばかりの姿勢だった。
けれど、あの政治姿勢に「安心」などない。

豪雨に見舞われたときの河川やダムの水位の監視等、監視カメラは重要な役割を果たしている。
災害そのものは防げなくとも、避難をする等それに伴う被災は最小限に抑えられるからだ。
要は、だれが何のために使うか、それに常に目を向けておく必要がある、という事なのだろう。

「プレーパークってさ、安全じゃないかもしれないけど、安心だよね。」
小学4年生の男の子がぼくに話した言葉。
余りに的確な表現に、度肝を抜かれた。
「この子は、安全と安心の使い方が分かっている。そこらの大人よりずっと賢い。」
でもね、加えて言えば、よく遊びにくる子ほどけがをしないんだよ。
なにが安全で何が危険か、自分で判断しているからだと思う。
自分で身を守ることができる力を身に付けること、それに勝る安全はないよね。



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