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2月

熊本地震の後、プレーカー(命名:おもしろかー)を贈ったということは昨年9月に報告した。
その送り先の方が、つい先日の益城町のようすを写真で送ってくださった。
その写真を見て、少なからぬショックを受けた。
10カ月がたつというのに、まだ、瓦礫が手つかずなのだ。
送ってくださった方は「片付いたところもあるが多くはまだ手がついていない」のだと言う。

この町に住んでいた多くの方が、この町の中で避難所暮らしを行っている。
いつまでもこの光景を目にせざるを得ない状況が続いていることになる。
大切な家族との思い出が、あの瓦礫の中にぎっしりと詰まっている。
無数とも思える余震は今年になっても衰えず、震度3以上の地震がすでに7回も起きている。
震災後の、記録的な集中豪雨もあった。
なんとか取り出したくても、もうどうにもならない想いもあるだろう。
その気持ちはどんなものなのだろうかと思うと、写真を見ながら本当に切なさがこみ上げる。

けれどそんな中、おもしろかーで行った先での光景をこう報告してくれた。

「~(前略)~ようやく、午後になって雨がやみ、集会所の外で遊具を広げると、
前回も来たという子(小学3~4年?)が、すぐに来て、大声で
「おもしろかーが来ましたよ~、みんなきてくださ~い!」と宣伝してくれるほどでした。
就学前の兄弟も遊びに来ましたが、すこしストレスが溜まっているようで、
破壊的な遊びを好んでいるようにも見受けられ、一緒に行ったスタッフと
「サンドバッグとか持ってきて、好きなだけ叩いたり蹴ったりできるようにするのも
いいかもね」と話していました。~(後略)~」

ちょっと、感動だった。
子どもが自分から宣伝に走ってくれるということは、本当に歓迎しているという証だからだ。
弾む気持ち、みんなと遊びたいという喜び。
おもしろかーが現れたときのその子の気持ちが、色とメロディを伴って見えるようだ。
スタッフの心意気が素晴らしい。
ストレスが溜まっていると感じるや、サンドバッグを持ってくるのもいいかも、と思いいたる。
かなり乱暴そうなシーンがあったと見受けられるが、それを「ダメなこと」としてではなく、
しっかり発散させてあげたいという受け止めがごく自然に行われている。
「この人たちの手に、おもしろかーが渡ってよかった!」
本当にそう感じた。

子どもにとって最大の環境は、実は大人だ。
その大人の受け止めが柔らかいことが、子どもの心のケアを一層促進させる。
プレーカーは、実はそのコミュニケーションを促すツールであるだけなのかもしれない。



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