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3月

「なにこれ」「なんなんだよ」「はぁ?」「なんだこれ」「おわった」・・・・・
5分にわたる映像には、この言葉だけが繰り返されていた。
その映像には、津波がみるみるカサを増し、次々と全てを呑み込んでいくさまが映されていた。

今月の11日で6年目を迎える、東日本大震災。
ネットで改めて検索をかけると、膨大な数のビデオがあった。
それを3時間ほど見た。
津波の激しさを印象付けるためか、迫力のある音楽が付けられ
きちんと編集されたものも多かった。
けれど、海が押し寄せるゴウゴウという音に混ざる
ガリッバギバギという津波のリアルな音。
「上がってー!」「早く―!」「うあーっ!」「地獄だ…」、
人々の悲鳴や叫び、言葉にならないため息。
ホームビデオのその映像は撮っている人の現実の心を映し出し、
見ている側の心も思わず固まる。
6年前、こんな現実があった。それを改めて突き付けられた。

6年前の自分の気持ちを、ゆっくりと思い返す。
阪神淡路大震災の時に感じた揺れと同質のものを感じ、すぐにテレビを見たこと。
襲い来る津波をヘリが上空から追い、
そのまま空港を飲み込んでいったそのシーンは、
そのすぐ北の海岸公園で冒険遊び場づくりをしていたぼくの友人の安否を不安にさせた。
すぐ連絡を取ったが、つかない焦りと不安。
3日後にその彼が連絡をくれ、
「自分は大丈夫。子どもに遊びが大事だって、天野さん全国に伝えて!」と叫ばれた衝撃。
その晩、ぼくの知り合いの共同通信の記者に伝え、一晩で書いた記事。(後日掲載)
原発の衝撃もすさまじかった。
遊び場づくりに現地に向かおうにも、福島を通らなければならない。
初めて現地に入った4月3日。

海に向かう道を走っていたら、突然開けた視界に飛び込んだ壊滅した町。
テレビで見る者とそれは、まったく風景を異にしていたこと。
さまざまなことがよみがえってきた。

HKKも3月11日を控え、また震災関係の番組がちらほら放送している。
その中で、気仙沼に住む青年が話していた。
ボランティアで来ていた若者が、
気仙沼の良さをたくさん感じて福井から移住してきたのだという。
絶望的だった状況から、その若者が救ってくれたと。
「自分がここに存在することの意味を、外から来た人たちが教えてくれた」。

阪神淡路大震災で神戸市長田区に遊び場をつくったとき、
折れそうになる心を救ってくれた言葉がある。
地元鷹取教会の神田神父が言った言葉だ。
「復興は、元に戻すことをいうわけではない。
震災があり、これだけ世界中から英知が集まっている。
これを私たちは頂き、まったく別の永田を生みなおすのだ。」

生まれ直す東北、その道はまだ半ばだ。



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