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10月

ある方からメールをいただいた、
メールの趣旨とは違うのだが、その中に以下のような一節があった。
(管理人が適宜改行しています)

「東日本大震災後、過度なストレスを受けた障がい児たちが、暴力やこだわり、不登校などの問題行動を起こしました。
避難所での生活もままならなくなり、家族は疲弊していく状況に対して、
民生員の呼びかけに多くの県内外の支援者が集まりNPO法人が設立され、障がい児と家族の支援を行っています。
安心して過ごせる場所と、のびのび遊ぶことを通して、子どもたちが元気を取り戻していきました。」

遊ぶことの力を目の当たりにし、遊び場をつくりたいのだと書かれていた。
どれだけつらい思いをしていたのだろうかと、これを読んで思った。
狭い避難所では、多動性や叫びなどは、周りに大きな負担をかける。
更に慣れない環境だから、その状態はすこぶる悪くなったことだろう。
そうした日々での親の気持ちは、一体どれほどのものだったか。
また、そうした中で、当の本人は一体どんな気持ちに追い詰められていったか。
子どもが受け入れられないと、親子そのものが引き裂かれてしまう。
そうした親子を救った、「安心できる場」の創設。
さらに、本格的な遊び場づくりに着手したというのだから本当に頭が下がる。

障碍があると、成長時に二次被害が生じる可能性が高い。
障碍があるがゆえの差別、いじめ、排除、犯罪被害…を受けるためだ。
障碍を持たなくたって、このような目に合えば、誰だって精神的におかしくなってしまう。
まして障碍を持つ場合、さらに発達に狂いが生じてしまうのだ。
その回復に最適な機会が、「遊ぶ」ことなのだ。

近年は、軽度の発達障碍と呼ばれる子が増えてきている。
自閉症スペクトラムとされるこの一群は、一見しただけではそれとはわからない。
脳の器質的なものであると言われているが、多くは社会が生んでいると僕は感じている。
なぜなら、遊ぶことができない社会だからだ。
遊びは、単なる運動でも体験でもない。
その子自身の世界を生み出す経験だ。
それが奪われているのだから、まともに人が育つと考える方が問題だ。

熊本に贈ったプレーカー(通称おもしろかー)。
被災地を愉快に走っているようだ。
フェイスブックページに様子がアップされている。
「遊びの風よ、全国に吹き抜けろ!」



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