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4月

もう一か月半ほど前になるが、久々に気仙沼にあるシャンティの事務所に行った。
シャンティも、いよいよこの3月で現地事務所を引き上げることになったと知り、
そこの責任者の白鳥さんと、これも本当に久しぶりにゆっくりと話してきた。

「シャンティ国際ボランティア会」は、開発途上国の生活自立支援を中心に行っている国際NGOで、
普段は国内のことには手を出していない。それが阪神淡路大震災後、
この災害を放ったまま海外事業だけを続けたら国内の支持者が納得してくれなくなる、との思いから、
初めて国内の支援活動を決めた。

一方、ぼくたちプレーパークでは、現場で子どもがこうつぶやいたのを聞きとがめたひとりのプレーワーカーがいた。
「地震のテレビばかりで(アニメもバラエティーもなくなって)つまらない」。
この災害はゲームではない、どうやったらそのことをこの子たちに伝えられるだろうか。
緊急でプレーワーカーが集まり、子どもに自分たちが実感したことを伝えよう、と支援を決めた。

両団体とも違う理由で支援を決めたが、双方に課題があった。
シャンティは、災害時などの復興支援にはたけているが、特に子どもを対象とした事業を行いたいと思ってはいたものの、
海外のことばかり行っていたので国内のことがよくわからない。
プレーパークは、遊びを通じた心のケアこそどこよりできるものの、被災地支援の経験が全くなく、
そのまま行ったら被災者を増やすだけになってしまう恐れがあった。
ぼくの友人がシャンティにいたことで情報交換を行い、
互いに利となるということで、一緒に被災地支援活動に取り組むことにしたのだった。
今回も同様の理由で、シャンティがつくった現地事務所に滞在しながらの支援活動を行った。

白鳥さんは、阪神淡路大震災の時は、学生ボランティアとしてかかわった人だった。
当時から少しとっぽくて、まじめな学生が多い中では目立つ存在だった。
それが、今回の責任者としての大黒柱ぶりは見事だった。
感慨もさぞや、と慮ったが、本人は結構さっぱりしている感じだった。
難しい局面だらけの中で、積み残した課題も多いなりにやり切った感はあるのだろう。

前に告知もしたが、日本冒険遊び場づくり協会の支援も、新年度を迎え大きく変わった。
今まで走らせていたプレーカーを、一般社団法人プレーワーカーズに引き継いだのだ。
プレーワーカーズのHP
今後は、このプレーワーカーズがプレーカーを走らせる。

ところで、このプレーワーカーズの代表の須永力(通称ぶんちゃ)だが、
彼こそがプレーパークの現場での子どものつぶやきを聞きとがめ、
緊急のミーティングを招集した者だ。
そして、今回気仙沼に遊び場を開設した時のメンバーには、
この阪神淡路大震災の時に活動を共にした者たちが何人もいて力を発揮した。
みんな、阪神淡路大震災(1995年1月17日)から東日本大震災(2011年3月11日)までに16歳も年を取ったわけだが、
今でも思いを共有できる仲間たちなのだと、改めて感慨を深くした。



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