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12月

暖冬といっても、やはり冬だ。
ここのところ、寒くていけない。
というより、年を取るとどうも寒さにも暑さにも弱くなってくるように感じる。
とほほ・・・である。

遊び道具を満載して被災地を走る、日本冒険遊び場づくり協会の「プレーカー」一族、
あそぼっかー、あそぶーぶー、あそびたいやの3台。
日本ユニセフ協会からの支援を受けて、ここ3年、運行を続けてきた。
それも震災から4年が経過し、
1月から12月が会計年度であるユニセフ協会は、この12月で支援終了の予定だった。
だが、うれしいことに、日本の年度内(3月)は、支援の継続が可能となった。
これで、運行に当たる者たちも一安心できる。
というのも、彼らはこの震災以降東北に移り住み、子どもの復興を支えてきたからだ。
彼らは、東北に骨をうずめる覚悟なのだ。

プレーカーは、遊びに欠ける子どもに遊び心を振りまいてきた。
「こんなもので、子どもってこんなに遊ぶんですね。」
お父さんが、そうつぶやいたのだという。
あの日以来、怖がってお母さんから離れられなかった子が、お母さんから離れ、遊びだした。
そんなわが子を見て、お母さんは涙ぐんだのだという。
子どもは、大人の気持ちを常によく見ている。
震災後に一様に静かだった子どもは、大人の痛んだ気持ちに配慮し、
自分たちが楽しんではいけないのだと自分の気持ちを抑え続けてきている。
そんな子どものつぶれんばかりの気持ちを、遊びは解き放つ。
そして子どもは、その遊びを通じて自らの世界を築き、傷みをいやしていく。
そういえば、気仙沼の遊び場ができた初日、
「おれたち、どんだけひまだったか!!」
と叫んでいた子どもが何人もいたことを思いだす。
その日以来、爆発的にはじけていく子どもの姿に、大人たちが励まされていった。
遊ぶことは、子どもにとって食べることと同じに不可欠だ。
プレーカーに乗る彼らは、そのことを知っているから、だから下りない。
けれど、プレーカーが無料でどこにでも行かれたのは、それを支えるところがあったからだ。
だから、ユニセフ協会の支援延長は、少しの期間であっても素直にありがたい。

ユニセフは、本来は第3世界の子どもを支援するためにある。
しかし、遊びに欠ける先進国の子どもの問題は、
第3世界の子どもとは全く別の貧困に直面していると言える。
日本ユニセフ協会は、そのことに気づいているからプレーカーを支援した。
心の貧困。
日本の子どもを、そこから救い出す必要がある。



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