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11月

10月の最終週、久しぶりに気仙沼あそびーばーへ行った。
途中に南三陸を通って、とても驚いたことがあった。

津波の襲来に、最後まで「高台に避難してください!」と放送を続け、
自身が波にのまれて亡くなった町職員がいたことを覚えている人も少なくはないだろう。(その時の映像
その女性、遠藤未希さん(当時24歳)が警告を続けた、町の防災対策庁舎。
震災遺構として残すか、無残な記憶を思い出したくないとの声もあり、賛否が割れていた。
最終的には県が保存を決めたが、
鉄骨がむき出しとなった3階建てのその庁舎には、見る者の心をえぐるものがあった。
幾度となく立ち寄ったその場所が、今回全く予想もしない変化を遂げていた。
12メートルある庁舎をはるか見下ろす高さにまで積み上げられた、
ピラミッドを上半分切り落としたような台形型の巨大な山。
その巨大な人口台地がいくつもいくつも積み上げられ、
庁舎はすっかりその間に埋まってしまっていたのだ。
そのため、以前は遠くからでも見つけることができた庁舎がまったく姿を消してしまったのだ。
陸前高田でのかさ上げ工事は以前にも触れたが、南三陸のかさ上げは、それをしのぐ高さだった。

その、陸前高田にも寄った。
山から直接土砂を運ぶための巨大なベルトコンベアは撤去され、
こちらにも大きな人口台地が至る所に作られていた。
南三陸のそれを見た後だからか、巨大さはそれほど感じなかった。
それでも10メートルに達する数々の台地は、10トンダンプ200万台以上に及ぶのだそうだ。

そのどちらも見て、どうしても解けない疑問が残っている。
ここに、どのくらいの人が戻ってくるのだろうか、という疑問だ。
かさ上げは、当然だが盛り土なので、雨が降ったりすれば地盤が締り下がっていく。
それが落ち着かなければ、建物など建てられたものではない。
そこに3年はかかると見たら、震災からは8年ということになる。
とっくに新しい暮らしを始めていなければ、生きては行かれない歳月だ。
その人たちの何割が戻れることを予測しての工事なのか、それがわからないのだ。
本当に人が戻ってくればいいのだが・・・そう願うしかない。

久々のあそびーばーだった。
面影に覚えのある顔が数人いたが、すっかり大きくなっていて、時を重ねたのだと感じた。
子どもの変化は、早いものだ。
あそび場を立ち上げたのが11年4月。
その準備の時に「手伝いに来た」と言っていた小学3年生が、今年中学に入学したのだという。
バス停で会ったその子は、少しはにかんでこちらに小さく合図をくれた。
向こうも、なんとなく覚えてくれたらしい。
それが、うれしかった。



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